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佐々涼子さん その作品はすぐそばに

佐々さんが亡くなった ノンフィクション作家の佐々涼子さんが亡くなった。 もちろん、お会いしたことはない。 ただ、出版されたすべての本は読ませていただいた。 「ミケと寝損とスパゲティ童貞」は、最初期の作品。 日本語教諭だった佐々さん。 海外から日本に来た人たちへの視線は優しい。 のちの「ボーダー」へと、きっとつながっていったのだろう。 「駆け込み寺の玄さん」で、佐々さんはノンフィクション作家への道を歩み始めた。 ”得体のしれない”、同時に、とてつもない魅力を秘めた「玄秀盛

    • 殺生戒にもとる

      新聞記事を読んでいて、思わず息を吐いた。 戦時中、奈良・唐招提寺の長老だった北川智海という人のことが書かれていた(「海」は、本当は「毎」の下に「水」と書く)。 この人のことを知りたくなって、唐招提寺を訪ねてみた。 唐招提寺をひらいたのは、言わずと知れた鑑真和上だ。 日本からの熱心な招きに応じて渡日を決意した。 しかし、当時の航海は極めて難しく、5度にわたって失敗し、視力を失った。 それでも諦めずに6度目の航海で来朝を果たした…と寺のしおりに書いてある。 唐招提寺の境

      • ”凍れる音楽”

        「薬師寺東塔」は、そんなふうに呼ばれている。 人とは、なんと豊かなことばを持っているのだろうと思う。 薬師寺 薬師寺は、天武天皇が病気になった后のために発願し、建設を進めたと伝えられる。 病が癒えた后は、やがて持統天皇となり、塔の完成を見守ったのだろう。 寺のかたの解説によれば、藤原京から平城京に移されたのは、714年とも、716年とも言われるそうだ。 東塔は、戦乱をくぐりぬけて、今、その場に立っている。 三重の塔の屋根の間には「裳階(もこし)」が設けられ、だからこそ

        • 思ったことを書いてみます

          いろんなことが身の回りに起きるので。 記録しておきたいと思います。 なんか、懐かしいな、この写真…

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