「父」と「私」を通して「生き方」について考える

こんにちは。オタクです。
連休最終日、お仕事が近づいてきたのもあり、
先日のように生き生きとした(?)書き物ではないこと、ご承知置き下さい。

<生き生きとした書き物>
https://note.com/gassyou_gurashi/n/na742344ca17b

「尊敬」と「抵抗」の狭間で

私の父は今年の1月で58歳になります。
そんな父に対して私は尊敬の念は常にあります。
大して裕福ではないものの大学まで通えたのは
父が休まずに働いていたからだと、今でも感謝しています。
しかし同時に「私はこうはなるまい」と言う気持ち、
父に抵抗している側面もあります。

ではどうして私が父に対して
一見真逆に見える二つの感情を抱いているか、
それは社会人生活で得た「三つの気づき」にありました。
尚、この文章をしたためている内に、
上記二つの感情はほとんど同じものだと気づきました。
その上で、自分の生き方のヒントを得るとともに、
「なんだか私にとっては生き辛い世の中だなあ」と
考えざるを得ませんでした。

これ以降もあんまり良い感情を言語化していません。
駄文×負の感情であることを予めご了承ください。

「三つの気づき」について

①同じ環境に長く身を置くのは難しいこと

父はメーカーで働いており、現在は品管の仕事をしています。
今は常昼ですが、私が幼かった頃は定期的に夜勤もしていました。
且つ、幼い自分と外に遊びに行く為に
土日も休む時間は少なく、相当しんどかったんだなと。
思えば、幼い頃の私にとって父親は畏怖の対象でした。
というのも、平日は機嫌が悪いことも多く、
あまり会話ができないことも少なくはありませんでした。
そんな環境で、仕事のストレスが相当あったと今では思います。
少なくとも、40年間でやってる仕事も大して変わらず、
体力・気力を削って働くことは難しいことなんだなと、しみじみ感じています。

②会社の中で「友人」など簡単には出来ない

私のような文系総合職に限ってかもしれませんが、
まず「同期」と呼べる人間が部署にほとんどいません。
合計では同期は100人くらいいますが、
部署に配属される時にはほんの数人で、
且つ、同じフロアにいる同期など1、2人です。

ただでさえ数少ない同期の中で、趣味や考え方が合って、
友達付き合いができる可能性は高くありません。

又、現時点で会話を多く交わし「友人」らしいことができていたとしても、
数年経ち、部署が変われば付き合いも減っていくでしょう。
そう考えると会社で友人を作ることの難易度は相当高いです。

父も会社の友人は非常に少ない印象でした。
子供ながら疑問には思っていましたが、
今このような環境に身を置いているとなるほどそういうことかと、
納得せざるを得ませんでした。

③趣味は学生時代の「繰り返し」になりがち

上述の通り、体力・気力を削る上に、時間も限られ、
交友関係も然程広くならない
ことを考えると、
趣味も若い頃に経験したことから食い繋ぐほかありません。
つまり、社会人になって新たな趣味は作り難いということになります。
父もかつてはゴルフや釣りをしていましたが続かず、
最近では私と共に漫画・アニメにご執心です。
父も若い頃から漫画やアニメが好きで、
『うる星やつら』『銀河鉄道999』等に相当ハマっていたようです。
とはいえ、漫画・アニメのおかげで
親子間の会話は相当増えたのでまあ良いのかなって感じです。

改めて、私はどう思ったか。

上記3点の気づきは端的に述べると以下の通りです。
①同じ環境に長く身を置き難い。
②会社で「友人」は作り難い。
③一から新たな趣味も始め難い。

①は、父は見事にやり抜いています。
これに対して私自身本当に尊敬できると思います。
とはいえ、この尊敬についても僕自身、
「こうはなれない」≒「こうはなるまい」の感情から来ていることに
この文章を書きながら気付きました。
「真似したくないが、それをやるあの人は凄いなあ」
この感情に近いです。
②③については、現状私自身父とあまり変わらない。
にも関わらず「こうはなるまい」と考えています。

つまり私は、尊敬する父を「反面教師」にしながら
今までも生きてきたということでした。
おそらく父に対してだけではなく、
私が尊敬をしている・していた全ての人々に対して、
この感情をもとに行動していたことになります。

多くの人は、尊敬できる人がいて、
その人の生き方に影響を受け、受容するかと思います。
でも私は、その生き方を尊重しつつ「避けながら」進みます。

その為、私の生き方は尊敬できる人が増える度に狭くなり、限定されます。
非常に生き辛い、息の詰まる生き方をしています。

では、私はどう生きるか。

ひとつ、糸口があるとすれば、上記③に関連しますが、
私自身の趣味を「繰り返し」にせずに
「深掘り」によって「進化(深化)」させることにあるのではないか。

恵まれていることに、私は学生時代、様々な人間と出会い、
その中で様々な趣味を持つことができました。
音楽ひとつとってもクラシック、ポップス、洋楽などなど、
知識や理解の幅を広げてくれました。

幅が広がると交友関係も広くなる、
新たな趣味にも手を出しやすくなる、
もしかしたら今まで考えたことのなかった仕事も見えてくるのではないでしょうか。

…言い過ぎですね(笑)

とはいえこの2年、私は進化することを辞めていたと思います。
その為、自分の生き方を時々客観的に見ると、
空虚に映る、そう感じていました。
でもそれがどうしてなのかわからない、わからぬまま2年が過ぎてしまいました。虚しいですね。
だから、これからは、そんな虚しさはできる限りゼロにしたい。
考えることを辞めずに、物事を深く深く追求できればと思います。

2021年の抱負みたいになっちゃいました。
12月に私がこの文章を見てどう思うか、
どうなっているかは分かりませんが、
心に留めながら生きたいと思います。

長えな人生、これからもよろしくお願いします。

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