アニメ スタァライトと再生讃美曲を語る

こんにちは。オタクです。
今回はアニメ「少女歌劇 レヴュースタァライト」を語ります。
後半で2020年オタク大賞である「再生讃美曲」に絡めて
お話しできればと思います。
※この投稿にはネタバレ要素を多分に含むため、注意頂ければ幸いです。

作品全体を通して

作品全体としては、以下2点がポイントだと思います。
①「演劇」×「アニメーション」の融合
②  新たな「輪廻」観の提示

作品は非常にシンプルで、20分×12話を疲れることなく
一気に見ることができました。
以下より上記2点についてそれぞれ説明していきます。

「演劇」×「アニメーション」の融合

実はこのスタァライト、従来からある2.5次元の舞台とは異なり、
舞台からアニメ展開したコンテンツということもあり、
非常にアニメでも「演劇」的要素が多いです。
作品中の「キメ」では必ず「音楽演出」を絡め物語を進める、
近い感覚としては、「劇場版 ラブライブ」をイメージ頂ければと思います。

ちなみにこの作品、伏線は張るけれども、それに対する説明は一切なく、
物語の核心に迫る7話、8話までは視聴者もよく分からない状態になります。

それでも演劇の持つ迫力ある音楽演出と、美麗なアニメーションにより、
「この物語についていこう」と視聴者を引き込むことに成功しています。
実際、音楽とアニメーションが良すぎたおかげで飽きずに見続けられたし、
物語の核心部分で「神アニメ」を確信(激ウマギャグ)していました。

又、一応30分アニメ 且つ 週1放送なので、視聴者が忘れないように
伏線を再度張るなど工夫を凝らしていました。
(4話でも7話同様、作品全体を暗示する説明をする等)

それでも一気見した方が伏線を理解しやすい為、まとめ視聴推奨ですが、
演劇作品を30分1パックで進めるという試みは、
今までのアニメの常識からするとなかなか無い為素晴らしいと思いました。
(少なくとも、私の記憶する限りそのような作品は見たことがないです)

新たな「輪廻」観の提示

最近ではよくある「繰り返し」を題材にするアニメですが、
「まどマギ」型というより、「CLANNAD」「リトバス」型だと思います。
それでいて、新たな「輪廻」観を提示してくれました。

7話で大場なな視点で物語が語られており、
聖翔音楽学園で行われていた「オーディション」は
彼女によって繰り返されていたことが判明しました。

従来までのアニメであれば、彼女を軸にしながら
主人公である愛城華恋が運命を変えるために奔走するように思われます。
しかし、本作品では彼女すら物語の通過点に過ぎず、
あっさりと彼女を超え、次のステージへと進みます。

そして、10話で「オーディション」が終了し、
最後の一人になった神楽ひかりは、舞台少女の輝きを奪わずに
自分一人の輝きのみで「スタァライト」を演じ続ける道を選びます。
彼女一人だけが業を背負い、残りの舞台少女の輝きは残されたまま、
平凡な、幸せな日常へ戻ることができました。

あれ?これって、まどマギの最終話のまどかじゃね?
10話を視聴した瞬間感じたのですが、本作品においてはまどマギとは
異なった結末を提示しました。

11話にて華恋がひかりを救いに再び地下へと向かいます。
3話でもひかりが華恋を止めに無理やり地下へと向かいましたが、
うまくいきませんでしたね。
でも、11話ではうまくいった。それはなぜか?

ここからはオタク的考察ですが、3話時点では6人の女神は
「激昂」「逃避」「傲慢」「呪縛」「嫉妬」「絶望」のまま
であり、
11話までの物語を通して彼女たちは飛び入り参加した華恋によって
「情熱」「勇気」「誇り」「信仰」「愛情」「希望」へと
姿を変えた
のだと思います。

実は、「スタァライト」の原本でも「星はそのすべてを覚えている」の後に
「激昂が情熱であったとき…」と続き、女神が冠する元の名が判明しており
それこそが情熱以降の6つの言葉になっています。
6人の女神が悲しい輪廻の物語を乗り超えるためのカギとして存在し、
すべてを回収したからこそ、華恋はひかりへたどり着くことができた
と思います。

この展開は、「CLANNAD」や「リトバス」にあるような、
物語のカギをすべてそろえたことによってTrue Endを迎える形式に
酷似しています。

しかし、CLANNADやリトバスは「輪廻を断つ=物語の終わり」でしたが、
本作は「輪廻を断つ=新たな物語の始まり」という点で異なっています。
7話で一旦断った輪廻も、10話で新たな輪廻が生まれ、
12話でその輪廻を断った後、輪廻自体は終わりを迎えますが、
彼女たちの物語が続くことを示唆してアニメは終了します。

このように、今までの輪廻形式のアニメをなぞりながら、
新たな物語を提示し廻り廻っていく、新しい輪廻観を提示したことが
非常に良かったと思いました。

再生讃美曲とアニメ スタァライト

ここからは、2020年オタク大賞「再生讃美曲」と
アニメとの関係性についてお話します。
オタク大賞とは何か?というのは下記参考まで。
<オタク大賞>
https://note.com/gassyou_gurashi/n/n3be413cc8d62

そこでも述べてある通りですが、この曲は場面転換を効果的に活用し、
まるで「演劇」を見ているかのような感覚
に陥ります。
特に2番後の8分の6拍子へ転換した場面では、
まるで舞台少女同士が舞い踊るように殺陣をしているかのようでした。

又、この曲では「輪廻」への言及もされています。
「選ばれなかった過去達」への讃美歌の中で、
「輪舞曲(ロンド)はいつしか終わる」ことを何度も語り、
「だから眩しい」という言葉で締め括っています。

「選ばなかった過去達」とは、
ななによって繰り返されていた「過去達」であり、
華恋が甘んじていた、キラメキを求めない「過去達」でもあり、
ひかりがたどり着けなかった、ロンドンでのキラメキの「過去達」、
非常に多義的な意味合いを持っていると思います。

「多義語」といえば、「讃美歌」も当てはまります。
過去達へ静かに捧ぐものとして讃美歌を置いており、
どちらかといえばレクイエムのような位置づけに近いと思います。
とはいえ、レクイエムのように「鎮める」意味合いはなく、
過去達へもリスペクトを持った、それらを背負い生きる意味で
「讃美」という意味を使っているのかもしれません。
それを裏付けるものとして「過去達」への扱いです。
もし鎮める意味合いを持たせるのであれば、「選ばれなかった」過去達と表現すべきですが、
あえて「選ばなかった」過去達とすることで、
過去に対するポジティブな考え、
「私は過去に対してリスペクトを持ってアプローチし、その結果選んだのだ」と読めるのです。
…すげえな、再生讃美曲。

実際、作詞家の中村彼方さんも
言葉に明確な定義を与えていない趣旨の発言をされています。
(出典:再生讃美曲CD ブックレット)
その為、「選ばなかった過去達」「讃美歌」を
多義語として活用
していたのではないでしょうか。

ロンドは終わる、7話までのななにとって、それは耐えられないこと。
第99回聖翔祭「スタァライト」こそが最も眩しく、きらめいていたから。
そのキラメキを「再演」することで守っていました。

眩しいの、まだ。

彼女のこのセリフに胸を打たれたオタクはここにいます。
でも華恋は彼女の再演を否定します。

舞台少女は日々進化中。同じ私たちも、同じ舞台もない。
どんな舞台も一度きり、その一瞬で、燃え尽きるから。
愛おしくて、かけがえなくて、価値があるの。
一瞬で燃え上がるから、舞台少女はみんな、
舞台に立つたびに新しく生まれ変わるの。

ななは、第99回「スタァライト」こそが最高のキラメキと考えていました。
でも違った。ななは気づきました。

どうしてそんなに煌めいているの、どうしてそんなに眩しいの

一瞬のキラメキ、舞台に立つたび生まれ変わる舞台少女。
「再生産」する華恋の眩しさにあてられ、彼女も未来へと目を向けます。

だからこそ、「ロンドはいつしか終わる」ことへ
大場なな自身が「だから眩しい」と歌っている事、
その事実が!この上なく!!この胸を打つのです!!!

あぁ、わかります、それでこそ舞台少女!
私も、この一瞬を見ていたい!!!(cv 津田健次郎)

すみません、偶蹄目キリン科キリン属キリンになってました。。。。

最後に

お恥ずかしながら、ずっと見るべきだと考えていたアニメを
2年ほど眠らせておいた自分が憎い、、、
このアニメを多くの人と語りたい。普段文章など書く気力もないのに、
このアニメを見た2020年12月29日から1週間たった今、
この文章を書き留めることができました。スタァライトすげえ、、、

今後もなんかあるたびにお気持ち表明していこうかな。
それではみなさん、2021年もよろしくお願いいたします。

かしこ

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