見出し画像

ASD(自閉症スペクトラム)の息子のこと


長男の出産時の大変さで、次男のことを舐めてました。

長男は忘れもしない超未熟児で1125gという出生体重。
出産は帝王切開術で産まれました。
初めての出産ながら色々な体験をさせてもらいました。
消化機能が未熟なため、母乳を消化しきれず、腸が先に腐って赤子が亡くなる可能性がある・・などと担当医から言われた事は今でも記憶に残っています。
その後順調に育ちながらも、
「前へならえ」をすることはこの先ないと思いますよ。
と担当医から言われるなど・・低身長の成長曲線をたどっていくことになりました。
その後、長女の出産。
定型発達で出産、順調に育っていく中、次男が産まれました。
次男も長女と同じく、出生体重や出産状況から定型発達だと思っていました。
人それぞれ成長の早い遅いがあるので、発語の遅れや視線が合わないなど、あまり気にもしていませんでした。
発語が2歳になってもほとんど出ていない事に、危機感をもった母(子どもから見れば祖母)が、検査してみたら・・。ということで発達障害の診断をもらうことになったのです。

発達障害、自閉スペクトラム症、ついでに心臓の小さな穴が開いていて、腎臓も片方が正常に機能していない・・など、結構な事実を突きつけられました。
当時の私の心境は、
長男の出産時はもっと大変だった。
(70キロの道のりを毎日のように高速で仕事終わりに病院通いしていました)
命に関わることではなさそうだ。
2人の子育てのスキルがあれば乗り越えられる

といった甘い考えだったのです。


出来なくて当たり前という価値観

長男は年を経るごとに成長していきました。
同年代の子と比較して出来ない事が多いことに、もっと、もっと、と習い事を習ったり、自転車や縄跳びの練習をしたりして同級生に追いつけ、遅れるな・・と日々奮闘していました。
長男、長女は同年代の友人と比較して、なんとか可もなく不可もなく・・一緒にやれているな、と変に安心していました。
ところが、次男は年を経るごとに、同級生との差が開いていくのです。
保育園児になっても、発語がままならない。(ほとんど発語出来ない)
落ち着きがなく、じっとしていられない、モラルがない など
この時、育児を舐めてた、自分を顧みました。
「こんなことは出来て当たり前だよ」
といった言葉を使っていた自分を180度変えて
「出来なくて当たり前」
に変わっていったのです。
決して次男も成長していないわけではありません。
ただ、同年代の子どもと比較しても意味がないことを知りました。
比較するのは昨日の次男、1か月前の次男、1年前の次男。
そこで成長を確認していこう。と考えを変えたのです。

所属するコミュニティの変化

他人とのコミュニケーションが出来ない次男には友達が出来ません。
友達のいない次男に色々と手伝ってくれたりする同級生はいますが、一方的にお手伝いをしてくれるので、コミュニケーションは成り立ちません。
親御さん同士のつながりも定型発達の親御さんとはだんだん希薄になっていきます。
悩んでいる事や、子供の成長の話題があまりにも違いすぎて会話をすること自体が苦痛になってしまうのです。
身を置くコミュニティが、同じ悩み、同じ境遇の方との繋がりに変わっていきます。
長男、長女の保護者のコミュニティは定型発達の親御さんとのコミュニティですが、次男は障がい児の親御さんのコミュニティになりました。
定型発達児に比べて障がい児は一人ひとりの悩みや障がい特性が違うため、会話の内容も全く違いました。
とても新鮮で、子育ての1年生に戻った気分でした。
保育園は、障がい児支援に積極的な保育園だった事もあり、わからない事にも色々と対応してもらえて、知識もつきました。

現在の心境

今回の記事は、今後開示していこうと思っている自閉症育児についての前書き的な感覚で書いています。(入力?)
そもそも次男くん、こんにちは!のところを知ってもらいたくて簡単にまとめてみました。
次男が障がいをもって産まれてこなければ、今のコミュニティは無いし、学び続けている事もなかったと思います。
次男の障がいがあることで、家族がみんな仲良し、人にも優しくできて、人の気持ちに寄り添える。
妻も長男長女も人に優しい。
これは次男が存在することで生まれた家族の副産物だなあ、と思ったりしています。
いい意味での「諦める力」「手放す勇気」「共感力」このあたりを学び続けてきたなあ、と感じています。

次男は家族の心理的な発達を促していると思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?