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新聞記事に思うこと

こんにちは。

私は週末に1週間分の新聞を目を通しているスタイルで新聞を読んでいるのですが、2/8の記事に以上のような記事を見つけました。


簡単に記事の中身を紹介すると、

「先生方に陽性者が続出し、代わりに授業に入る先生が普段の業務に加え業務を担い(程度に差はあれど)、その準備のために9時くらいまで仕事をしている」

「子どもたちがコロナで行事がどんどん潰れていき、諦めが漂ってきている」

ということが書かれています。


率直に言って何も驚きはありません。

前回の記事で精神疾患の先生の代わりに、院生であった私が授業をしたとの話をさせてもらいました。

コロナ禍の前から、そんなことは「普通」とは言わないまでも、起きうることでした。現に、精神疾患による病気休職者は令和2年度で5180人との統計も文部科学省から発出されています。

穴ができたら、誰かが補填しないといけません。それが教職の世界に限らず、社会の常です。しかし誰が穴埋めをするか、そこにスポットがあまり当たっていないのではないかなとは思います。

ですから、僕は体験したケースをまとめさせてもらいました。

「院生が」「無報酬で」授業したという事例です。

現状、教員の欠員が出た場合の補填についての具体的な法律等も出ていないのではないかなと思います(あったらどなたか教えてください)。

そこの規制をまとめない限り、誰かの負担が特定の人にしわ寄せが行ってつぶれていくような気がしています。



コロナ禍で、子どもたちの諦めが漂っているという雰囲気も理解できます。

しかし私はこの点、乱暴かもしれませんが、学校がどんな施設でどんな役割を担っているのか、改めて確認をする大きなチャンスだと考えています。

朝日新聞の記事には、小学校への取材から執筆された記事でした。

確かに、大人になってもいかないような自動車工場や史跡・名所等に行けなくなってしまったことは痛手ですし、子どもたちの口からコロナ禍に失望する声が出てくるのはまったく不思議なことではありません。

しかし、社会科見学などは、「必ず」学校がやらなくてはいけないことなのでしょうか。

今までの当たり前を見直すと、新しい視点が出てくるかもしれません。小学校は中学校の先生として1年間通った程度でしか携わったことがないので、少し具体的なところに言及できないのが歯がゆいですが、、、

そう考えるようになったのは「部活」がきっかけなのですが、

部活の話はまた記事を作りたいので、温存させてください。


読んでいただきありがとうございました。

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