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徳治(とくち)主義

巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん)」=調子のいい口上手、うわべだけの愛想づくり、どちらも仁徳が少ない。
剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し」=真っ正直で勇敢で質実で口下手な方が仁徳があって信用される。

孔子の教えですが、こんな甘っちょろいこと言ってたら、現代社会なんて生きられません(笑)。

また、孔子はこんなことも言っていたんです。

女子と小人は養(やしな)い難(がた)し」=女と身分の低い者は扱いにくい

2500年前の中国では女性蔑視発言は普通でしたが、今の時代だと、「なんと差別的なんだろう」ってなりますね。


それを切り取って記事にしたらどうでしょう。

ーーー 孔子、時代遅れで女性蔑視の差別主義者 ーーー

てな具合に(笑)。

     ◇      ◇      ◇      ◇

一方、毛沢東は言いました。「婦人は天の半分を支える」と。

オイラが記者なら、こんな記事に(するもんか(笑))。

    ーーー 毛沢東は女性の味方 ーーー

     ◇      ◇      ◇      ◇

有名な『論語』には倫理教育について孔子の考えが詰まっていますが、孔先生は人間を一定の枠にはめ込んでがんじがらめにしようとした訳ではありません。むしろ、各人の特性を生かし、その人に見合った生き方を探求せよ、と言ったのです。そして、孔先生の政治思想は徳治主義。これは、法律ではなく道徳によって政治を行うってこと。だから、君子(くんし)は為政者であると同時に、地位に相応しい徳を身につける必要があるのです。

内面を磨いて仁、知、勇などの徳を身につけることがリーダーの条件であり、学問はそのためのものでした。論争があり、協調があり、切磋琢磨しながら人間形成を目指すには、教育に道理は欠かせません。

学問の前では人間は平等ですし、学校は世界の認識、客観的真理の探究を目的とする場所です。啓発に重きを置き、弟子を観察して適切な言葉を投げかけたから、孔先生のもとで有能な人材が育ったのでした。


     ◇      ◇      ◇      ◇

毛沢東が後継を託した華国鋒は、党主席の地位に就いて権力を一身に集めますが、栄華は長く続きません。鄧小平との権力闘争に敗れた華国鋒は党主席の辞任に追い込まれ、歴史の表舞台から去ることに。その華国鋒の業績をたたえる行事が最近、開かれました。座談会で華国鋒を称える演説を行った王滬寧は、党のイデオロギー・宣伝部門を統括する習国家主席の知恵袋。

華国鋒に、再び歴史の光が当てられる意味は何か? 毛沢東のもとで有能な人材は輩出されたのでしょうか? ただただ、徳治主義と関連があることを願うばかりです(笑)。

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