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西ヨーロッパ その2 ヴェルダン条約

あなたは、肉の焼き方をオーダーする時、レア派 rare 派? それとも、ウェルダン well-done 派? well-done は「中までよく焼いた、十分に調理された」という意味の形容詞

定番の小話を一つ。レストランでウェイターが持ってきたステーキ、注文した焼き方と違いました。

“Uh, I asked for rare. This is well-done.”
「おいおい、私はレアを頼んだのに、これウェルダンじゃないか」

ところが、ウェイターさん、“Well done!” 「でかした!」「よくやった!」と褒められた、と勘違い。

“Thank you, sir.  It’s seldom we get any thanks, sir.”
「ありがとうございます。めったに、お客様からお褒めの言葉を頂くことがないので」って。

おっと、今日の話は肉の焼き方ではなくて、ヴェルダン条約。ヴェルダン(Verdun) はフランスのロレーヌ地方にある都市の名前で、4世紀に司教座が置かれました。

西(?)のローマ帝国皇帝となったカール大帝はフランク族の慣例にならい、息子たちを分国の王とします。しかし、イタリア(ランゴバルド)分王国、アーヘンの王宮を含むフランキアの王とした2人が早世したため、アキテーヌの分国王となっていたルートヴィヒ1世(ルイ敬虔帝、以後、敬虔帝)が唯一の後継者となります。

敬虔帝は、長子ロタール1世帝にはイタリアを、ピピン1世にはアキテーヌを、そして、ルートヴィヒ2世にはバイエルンを相続させると決めました。ところが、2番目の王妃で、バイエルンの名門ヴェルフェン家の出身のユーディトが生んだカール2世にも領土を分けると言ったから、さあ大変。3人の兄は不満を募らせます。

当初、足並みそろえてロタール1世が敬虔帝の帝位を奪うことに賛成していた弟2人でしたが、結局は仲たがい。一旦は、皇帝に復帰した父ですが、カール2世に領土を分割させることを諦めません。

そこに、次男ピピン1世が亡くなるものですから、パワーバランスにも変化が。機を見て敏なるルートヴィヒ2世、今度は争いの元凶であったカール2世と同盟を結んで、ロタール1世を撃破。

そして、843年にヴェルダン条約が締結され、兄弟支配体制が確立します。4人兄弟のうち、すでにピピン1世はこの世の人ではないので、領土は3分割。帝国の東部はルートヴィヒ2世(東フランク王国)が、西部はカール2世(西フランク王国)が、そして、両王国の中間部分とイタリアを皇帝ロタール1世(中フランク王国)が支配することに。

さて、このヴェルダン条約、カロリング朝にとって “Well done!” 「でかした!」「よくやった!」となったかどうかについては、次回のお楽しみということで(笑)。

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