見出し画像

『前半戦?まとめ』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

さてさて。

前回は神智学、神智学、オカルトの意味や
オカルトに付随するお話しをしました。

今回は、とりあえず『まとめと詳細』です。

でわ。

本題へ行ってみましょう。



竹内巨麿さんが1893年 明治26年

祖父から遺言で「世の中が平和になったときに公開せよ」として譲り受けた宝物・文献を携えて上京。

御嶽教に入信後、鞍馬山 大悲山で
1000日修行をし、神霊や修行者から
神宝道術や神代文字を教えてもらいます。

1910年(明治43年)秋、神代(神武天皇以前)の時代から伝わる真の歴史書であるとして

(竹内文書)を公表します。

この当時の竹内文書は今の竹内文書の内容などとは違っていました。

竹内文書、神宝類を「経典」として皇祖皇太神宮を復興、天津教の開祖となる。

1928年 昭和3年に

竹内文書をおおやけに公開します。

弾圧など色々あり

1965年 昭和40年に他界します。

現在も茨城県に高祖皇大神宮天津教として

存在しています。

現在はお孫さんが官長をしています。

ざっとですが、竹内巨麿さんに関しての
詳細はこの様な感じです。

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

そこから分かる事を簡単に言うと。

御嶽教、御嶽教鞍馬山教会、鞍馬弘教、竹内巨麿さん自身が立ち上げた天津教

この全ては

繋がりがあったと言う事ですね。

そして。

その根底には神智学という

ものがあったと想われます。

1889年 明治22年

神智学協会のオルコットさんが

神智学を教えに日本に来てますね

日本各地でオルコットさんは

仏教擁護、キリスト教を批判の演説をしていました。

しかし、オルコットさんは

仏教も堕落していると当時の全宗派の指導者を集め話をしている。

全宗派の指導者が同じ場所に集まるのはこれが初めての事でとても珍しい事でした。

この事により

西本願寺などは

オルコットさんの講演で戒律を改めたそうです。

オルコットさんの影響力がいかに

大きいものだったか分かります。


このオルコットさんの講演に来た人は

100日間で20万人にもおよびました。

北は仙台、南は熊本

全国33都市で行われました。

この様にオルコットさんの講演は

日本の宗教や宗教家に多大なる影響を

与えていたと想います。

神智学自体の教え

神智学協会の西洋、東洋の統合

それ自体は素敵な事だと想います。

がしかし。

一言で、神智学と言っても

一言で、神智学協会と言っても

この2つに影響を受けたのは

良いものだけではありません。

代表的な所で言うと

オウム真理教などの俗に言うカルト教団なども影響を受けています。

どちらかと言うと、神智学協会の方に影響を

受けたと想います。

現代のオカルト スピリチュアルというものも

その一つです。

知らず知らずに、神智学、神智学協会の

影響を僕たちも受けていた事になります。

神智学協会はどちらかと言うと

チベット仏教や、仏教、ヒンドゥー教の

秘儀、秘密の教えなどの色が強いです。

先程、話したブラヴァッキーさん自身も

ヨガなどを好んでしていたので、本部がインドにあるのも

納得出来るんではないでしょうか。

神智学協会というものが

良い意味で影響を与え

悪い意味でも影響を与える

その様な二面性があるのも事実だと想います。

結局は、受け取り方の問題。

受け取る人の気持ちの問題だと想います。

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

今お話した様な事から

竹内巨麿さん自身も知らず知らずのうちに

色々な人達の影響を受け

御嶽教 鞍馬寺 の修行者達からも

影響を受け。

神智学協会のオルコットさんなどからも影響を受け。

祖父から受け継いだ竹内文書に多大なる影響を受けて。

天津教という宗教団体を立ち上げる事になったのではないでしょうか。


初期に公開した竹内文書には今でいうオカルト的な話やキリストの墓の話は書いてなかった。


しかし、先程言った様に

昭和10年

新郷村に行き墓を探し。

昭和10年新たに刷り直した

竹内文書には

キリストの墓の話を書き加える

この様な出来事がありました。

この様にキリストの墓など西洋の

神や偉人と言われる人達が沢山登場する

背景には、やはり神智学協会の影響が

大きかったんじゃないかと想像できます。


しかし、、、、、


ある意味

ここからが本番です。

竹内文書には

正統竹内文書と言われる物があるのを
ご存知ですか?

正統というよりも。

竹内巨麿さんは竹内家に養子になったんです。

という事は。

はい。そうです。

『本家』の方が居て

本家の方が

『正統竹内文書』を出したのです。

そこから見えてくる

日本の歴史のカケラ

次回。

『始まりの始まり』

でお会いしましょう。

以上。

臥龍桜でした。

ありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?