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『〜口碑〜新たなる旅』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

さて、今回は前回からの続きになります。

前回の内容が長かったので2回に分けました。

では、本題へ行きましょう。


飛騨の口碑での信仰感とは。

元々は、社(やしろ)などなく

山そのものを、神として拝むのです。
海そのもの、火そのものを神として拝みました。

言い換えれば、山の中に溶けている生命を神として拝んでいました。

古代の人は山や海そのものを拝み感謝していました。

社(やしろ)を作り御神体をその中に納めて礼拝したのは後のことです。

信仰と言うよりも、感謝に近いと想います。

自然と人の共存、恵みを与えてくれる

その自然に対しての感謝。それが徐々に

信仰的なものに変わっていったと想います。

飛騨の人達は、乗鞍岳を拝み

位山を拝み 先祖を拝んでいました。

信仰に関してはこの様な感じです。

では、『飛騨の口碑』の続きの内容を。

約2500年前に大淡上方様(おおあわかた)

という方がいました。


賢く、とてつもない神通力が使える方でした。


国を守る為に旗鉾(はたほこ)

乗鞍岳、焼岳、付近。

もう少し分かりやすく言うと平湯温泉辺りと言った方が分かりやすいですかね。

そこから更に奥に進み国を守る為に新しい国造りを始めました。


焼岳から更に奥に進み国を守る為に
新しい国造りを始めた。

とあります。

はたして何から国を守るんでしょうか?

それは

海から来る渡来人の方達です。

その内容を簡単に言うと、、、

たまたま流れ着いた渡来人が

人食の部族だったのです。

そして流れ着いた人々を見に来た人々を

殺して食べたのです。

その部族は、食べられなかった人々により

殺されましたが

また次、この様な部族が来て人が食べられたら大変だと大淡上方様が、国の防衛の為に

新たな国を作ろうと

焼岳から更に奥に進んだのです。

奥に進むパターンは2通り。

単純に考えて

『人食の渡来人がたまたまにしても、漂着して。仲間を殺し、食べられたら。急がないはずはありませんね。』

という事は、呑気に山を2つ超えるよりも


焼岳の脇沿いを通るのが最短じゃないでしょうか?

もうお分かりですね。

青い矢印の方向に進んだ方が最短。

青い矢印の先には何がありますか?

そうです。

射水市(いみずし)です。

厳密に言うと射水市の方面ですね。

さて、覚えてますか?
射水市に何があるか。

正統竹内家の拠点があるのが、現在の

射水市

でしたね。

この拠点に正統竹内家の

社殿はないが(幽斎 ゆうさい)で祭祀を執行している社に

『皇祖之霊皇大神宮』があると想います。

ここじゃないか?と想う場所はあります。

想像した通り小高い山にその場所はありました。

海までの距離も近く、山の上から海を見渡す
事も出来ます。
海から来る渡来人をいち早く見つけるには

『海が見渡せる小高い山』は必要な条件だと想うので。

ちなみに、竹内文書の方の拠点も
射水市から直接で約8キロぐらい富山駅よりの
小高い山にあります。御皇城山皇祖皇太神宮
という名前です。
しかし、現在は前回お話したように
茨城県の皇祖皇太神宮の方が拠点です。

さて、この様に

色々調べた結果

正統竹内文書 

竹内文書

飛騨の口碑

この3つが『富山』で繋がりました。

正統竹内文書の『越中王国』

越中とはもちろん『富山』の事です。

何となくですが

この様な事から

やはり正統竹内文書、竹内文書、飛騨の口碑は
何かしらの繋がりがあると想いませんか?

さて、話を続けます。


この様に

人食の渡来人の対策の為に

現在の富山県に新しい国を造った
大淡上方様は

これからは団結して

固まっていないと幸せは守れないと言い。

考えたのが、本家 分家 の様です。

上方の家(後の皇室)には苗字がなく分家する時に苗字をもらった様です。

簡単に言うと

本家は苗字がない。

分家すると、本家の方から苗字を貰っていた様です。


さて、今回は以上にします。

次回も〜飛騨の口碑〜の続きになります。

次回

『飛騨の口碑〜サヌ〜』

でお会いしましょう。

以上。

臥龍桜でした。




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