横尾渉さんに惹かれた20代前半

全然楽しくない文章なのであしからず。


突如キスマイ沼に漂うことになったのは、22の時でした。

当時、青海展示場にあった、Johnnys theaterなるもので、summary2008が開催されていました。2008は嵐の合間に…と、消極的に参加していました。当時は特別この人が好き!ってのもなく、ですね。
暇な大学生を謳歌していました。

そんな中でよく覚えているのは、キスマイの派手さ。ダンスはエビに劣るなと思っていたけど、実際見ると、本当に魅せ方が上手い。歌ってる曲が魅力的で、私のドツボと気づきます。これがターニングポイントでした。

この時に、藤ヶ谷くんに「ガヤー」と呼んで手を振ってもらったことはいい思い出です。のちに雑誌でガヤって呼ばれるの好きじゃないと、読んで知りました。ごめんね。


ザ、現場第一主義オタクだった私は、その後、エビキス1stコンサート代々木に参加します。当時は玉森センターじゃない曲も結構あって、センター布陣が藤ヶ谷、北山、横尾っていうセットが多くありました。

当時の横尾くんの顔やスタイルがどタイプだったこと。ヤンキー感がたまらなかったこと、踊りの手先の美しい所作、そしてギター弾く姿に魅了され、、横尾くんの担当になりました。昔、今ほど歌ひどく歌ってなかったし、踊って歌う姿が好きでした。

キスマイコーリング、雨、ブランニューシーズン…祈り、fire beat、smile

当時の曲は今でも大好きです。


坂道を転げたオタクの進化はとても早い。そのあとは滝沢革命に通ったり、1stコンサートからのデビュー前コンサートに通ったり、少クラの後ろに参加したり。偶然ですが、韓国の嵐withキスマイのコンサートにも参加しました。


列に並んだりはしなかったものの、できる範囲で全国を追いかけました。

当時の彼は本当にファンサービスに乏しい人で彼のパフォーマンス以外の記憶はあまりありません。
デビューが決まったコンサートツアー、代々木にも参加してお手紙に泣いたし、名古屋で初めて?記憶に残るファンサをもらえました。
ファンサ目当てのつもりはありませんでしたが、すごく嬉しかったです。そこで、彼が前と何か変わったような気がしました。(これは後で確信に変わりましたが。)


しかし彼らがデビューした年。私は社会人2年目で本当に趣味用の時間がなくなっていました。働き方改革なんてない時代で毎日残業が凄かった日々です。
先輩にゴルフに誘われたら、コンサート予定があってもゴルフを優先していました。そんなこんなで精神的にも追い詰められていました。

奇しくもキスマイ自身も忙しくなって行った時期。日常の動向を追いきれなくなると徐々に心が離れていってしまうタイプのオタクなので、もうキスマイの横尾担は名乗れないかも、となり始めていました。

これが一度目のJrオタク卒業の時です。


…以下はちょっとした愚痴です。デビューして少し経過した際に読んだ横尾くんの1万字インタビュー。そこには過去の自分への反省とデビューしたことへの感謝、これからの自分について書いてありました。現在、これから、の部分に関しては追いきれなくなっている私がとやかく言う立場にありませんし、本当におめでとう、頑張ってるね、以上だったと記憶しています。
気になったのは過去の反省の部分。彼のJr時代に書いていた内容について悲しくなったのを覚えています。

私はデビュー前から7人でデビューする!と信じて疑っていませんでした。Jrグループなんて不安定な存在ですが、彼らはグループとして魅力があると思い、7人で!と思っていました。オタクの勝手な願いですが。
しかしデビュー直前の2010年あたり、二階堂と横尾を置いて、5人の仕事ということは確かに増えました。
初回の少年たちもそうでした。私はとても悔しくてその舞台には行かなかったんです。もちろん彼らは絶対悔しかったと思います。
それでも7人でデビュー、となったのは彼の同じグループのメンバー、もちろん彼自身の努力、そしてファンによる努力…だと思ってます。

でもその記事で、その当時その応援していたファンへの態度や思いに関してよく思っていなかったこと、やる気がなかったことを知ってしまいました。悲しくなったのを覚えています。
それ当時からのファンもいるのに、言うかな。どうなんだろう。と思ったことを忘れません。
彼にそういうところがあると、分かっていたしそんな彼を応援していたのは彼の外見、パフォーマンスが好きだったからに他なりませんが、やる気を応援していたい身としては、すごく残念な気持ちになりました。

デビュー後の名古屋で感じた彼のファンへの態度の変化。ああ…そう言うことだったのね、やる気出したのね。今までやる気なかったのね…追ってたのに…とよくない方で納得してしまったのです。


そんなこんなで、主に自分の多忙が要因で、彼を追いかける(担当)を辞めることになりました。その後はファンクラブも辞め、たまにしかキスマイのコンサートは参加できていません。


それから今日に至るまで、仕事地獄に陥ったり、転勤したり、結婚したりしたので、もうJrにはハマらないだろうな。と思っていました。2012年の話です。


2019年、まさかまたJr担当になることになろうとは…人生分からないですね。



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