【小説】駆けて!ホンマチ⑦
私は騙されている。
その結論に至るまでは、この奇妙な体験を説明付けることができず、不本意にも極めて不安な時間を過ごしてしまった。
冷静になって考えれば、こんな世界はあるはずがない。それは明白だ。ならば、ありもしないこの世界にいる私は、どんな状況に置かれているのか。
簡単なことだった。ここはバーチャルの世界。仮想空間だ。本来はコンピュータやインターネット上にCGで製作される世界が仮想空間だ。しかし、それだけでは満足できず、実際に映画撮影のような大掛かりなセットを用いて組み上げられた空間なのだ。つまり、現実に仮想空間を作ってしまったということだ。
では、何故そんな馬鹿げたことをしたのか。
いくつか思い浮かびはするが、私の置かれている立場からして、大掛かりないたずらが目的なのだろう。
人を騙すテレビ番組がある。ドッキリ物というのだろうか。私はその標的にされたのだ。
本町商店街が、途中から50年前の世界へと変化する。そう、通りが少し左に折れている先に大規模なセットを作り、まるでタイムスリップしたかのように思わせる。見知らぬおじさんに追いかけられたのも、そこに誘い込むことが目的だったのならば納得がいく。変な人たちに絡まれたのも番組の演出だったのだ。これですべての説明がつく。
50年前の世界に迷い込んだ私がどんな反応を見せるのか。商店街を舞台に壮大なスケールの演出による一大企画に違いない。本物そっくりに昔の商店街や小物を再現し、大勢のエキストラも動員。番組が蟹江町とタイアップして実現したのだろう。相当な額の制作費もかかっているであろうことは、容易に想像がつく。
周りの人たち全員が仕掛け人なのかと思うと、皆さん私のためにご苦労様と労いたくなる。
冷静さを取り戻した私には、ある決断の必要があった。仕掛けに気付いてしまったことは、私以外の人には知る由もない。だから当然、今も私はカメラで撮られ続けられている。こうして実際に経験すると分かるのだが、カメラの存在がどこにあるのか全くわからない。さすがは巧妙なプロの仕事だと感心する。
さて、標的となった私が、めでたくオンエアーされるには『撮れ高』が求められるのだ。
もちろん私はテレビ局からオファーを受けたわけでもなく、今日たまたまここを訪れた一般人に過ぎない。私と同じように、何も知らずにこの仕掛けのある本町商店街に来た人全員がターゲットとなるはずだ。
その中から特に印象に残った数人が、放送に採用されることになるわけで、放送で使えるような面白い表情や、強いリアクションが多ければ多いほどオンエアーへの道は拓けることになる。
これまでの私の反応に、別段面白みはないはずだ。当然この『撮れ高』ではオンエアーされずにお蔵入りになるに違いないだろう。
それでいいのかもしれない。こんな貴重な体験自体、滅多に遭遇できることではないからだ。でも、せっかくならば放送に乗りたい。私の慌てふためく様子に、コメンテーターはどんな言葉でいじるのか。想像すると顔が緩んでしまう。
だめだ。いかんいかん。笑っていてはいけない。思い切り不安そうな顔をしていよう。きっとこの先も、仕掛け人が私のもとにやってくるはずだ。そのときは、ちゃんとオーバーなリアクションをしよう。自然に振舞えるだろうか。緊張感が半端ない。やはり芸人さんは偉大だと実感する。
しかし、いつまで経っても仕掛け人らしき人は私に接触してこないし、周りにおかしなことも起こらない。
ひょっとしたら、私はもうとっくに見限られて撮られてさえいないのだろうか。でも、いくらオンエアーされないことが確定的だとしても、番組制作側からの説明くらいはあるはずだ。スタッフさんが寄ってきて、番組名を明かし、その趣旨を説明してくれるのが礼儀というものではないか。
人を騙し、ほったらかしにしておく対応に、私は腹立たしい気持ちにってきた。企画自体は壮大で面白いのに、騙された人のフォローを蔑ろにしては、番組として失格だ。
私はもうどうでもよくなり、途中で踵を返して後戻りを始めた。予定ではこのまま本町商店街を抜け、近鉄蟹江駅から名古屋へ帰るつもりだったが、作り物の通りを歩きとおす気持ちになれなくなった。
私にとって、蟹江町の本町商店街は良い場所ではなかった。そう思うと、おばあちゃんには何だか悪い気がしてしまう。ちょっとした好奇心を抱いてやってきた蟹江町に裏切られた気分にもなる。悔しさに似た感情が湧いてくる。おばあちゃんに見せられるような写真も撮れなかった。偽物の商店街の写真では何の目的も果たせない。
自然と早歩きになった私は、通りを少し右に折れ、小さな神社を通り過ぎた。
神社・・。えっ・・。
この神社の前で私はめまいに襲われた。そう、そのときはセットなど組まれていなかった。JR蟹江駅からこの神社まではずっと寂しい町並みだった。でも今は違う。通りの両側にはずらりと店舗が軒を並べている。この短時間のうちに、こんな立派なセットが組めるはずはない。
暫くの間、立ちすくむ以外なにもできなかった。
改めて周囲の様子を確かめてみる。どのお店、どの商品、どの風景も再現した物としては明らかにクオリティーが高すぎる。よく考えれば、スマホの通信を遮断することなど可能なことではないはずだ。
こんなことが現実に起こりえるのか。映画やドラマ、漫画の世界でだけの空想上の現象に過ぎないと思っていた。
百歩譲ってタイムマシンを操っての時間旅行ならば、将来的には実現するのかもしれない。でもそうじゃない。のび太君の机の引き出しの中や、デロリアン型のタイムマシンに搭乗する術など、私にはないのだ。
もしそうだとしたら、どんなに気が楽だろうか。自らの意思で好きな時代を訪れ、好きなときに帰ることができる。
私の場合、どうやってこの時代にやって来たのかさえ分からない。それはイコール、帰る方法を知らないということだ。
不意のタイムスリップ 帰れない
検索ワードを打ち込んで調べようにも、圏外でのスマホが機能するはずもなく、ただ途方に暮れる。