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【小説】駆けて!ホンマチ②

「どうしたんだい。お前さん」

 声の主は高倉健ばりの顔立ちの持ち主だった。事情を話し終えるなり、健さんは壊れた下駄を奪い取るようにして引っ掴むと「俺に任せとけ。ここで待っとれよ」と言い残してその場を立ち去った。

 涙に濡れた乙女の瞳は、思わぬ展開に別の種類の輝きを放ち始めたが、待てど暮らせど健さんは帰ってこない。蟹江町本通り商店街の秋祭り。ひしめき合う人波から外れ電信柱に寄りかかりながら、一瞬だけ下駄を持ち逃げされたのかと疑ったが、健さんは30分以上経過した後にちゃんと戻ってきてくれた。

「待たせて悪かったな。しかし、この辺の履物屋はどいつもこいつも人でなしばかりだ」    

 少し憤った様子の健さんは、壊れたままの下駄と、新品の下駄一組を差し出した。

 話を聞くと、どこの履物屋さんに修理を依頼しても「今日はもう閉店だで修理はできん。新品なら売ったる」と断られてしまったらしい。それで渋々新品の下駄を買ってきたという。

「そうなんですか。わざわざありがとうございます。それで、これおいくらでした?」

「なあに、困ったときはお互い様だ。こいつでよけりゃ、あんたにくれてやるよ」

「そんな、頂けませんわ。こんな高価なものを」

「いや、悪いが一番の安物だ。しかも値切ってやった・・」

 正直な健さんの態度に、心の中でくすりと微笑んでいると「足の裏を見せろ。絆創膏を貰ってきてやった」と健さんはぶっきらぼうな言い草ながら優しさを見せた。

 少し恥らいながら後ろ向きに足の裏を差し出すと、健さんは傷口の周りの砂や埃を指で丁寧に払い落としてから、絆創膏の裏紙を剥がした。強めの刺激臭が立ち込める。

「ちっ、何だよ、あのくそ親父め。こいつは湿布じゃねえか!」

 健さんは怒り始めたが「まあ傷を塞ぐ役割はするだろう。我慢してくれ」と言いながら、押し付けるように傷口周りに湿布を貼った。


 おばあちゃんはくすぐったいやら可笑しいやらで笑いを押し殺すのに必死だったらしい。傷口はほとんど塞がっていたけれど、健さんの優しさが嬉しかったそうだ。湿布の刺激が傷口に沁みたが我慢したと笑っていた。

 健さんは「じゃ、気をつけてな」と言って姿を消したという。


 それ以来、おばあちゃんは毎週のように日曜日には本町に出かけた。本町商店街に行けば、また健さんに会うことができると思ったからだ。

 でも、その願いは簡単には叶わなかった。あのときに連絡先を聞かなかったことを心底後悔したという。それでも辛抱強く通い詰め、やっと再会を果たしたのは、翌年の7月のことだったと嬉しそうに話してくれた。

「あの時は不思議だったの。若い女の子が走ってきてね、私に教えてくれたのよ。『あなたの探している人が向こうにいます!』って息を切らせながら。今思えば、何処かで会ったことがある子だったかもしれないけど、もう面影も忘れてしまったわ。あの子は誰だったのかしらねえ・・」

 目を細めながら懐かしがっているおばあちゃんの顔は幸せそうだった。

 その話の健さんが、おじいちゃんだということは言うまでもない。



 そこで私は決心をしたのだ。おばあちゃんの代わりに蟹江町の本町商店街に行ってみることを。

 そのことを伝えると、おばあちゃんは喜んだものの、少し寂しそうな顔もした。

「昔は賑わっていたけど、今では寂れてしまったって聞くわ」

 私は何も知らなかった。それでも、おばあちゃんの大切な思い出の場所であることには違いない。大袈裟な言い方をすれば、この私のルーツとも言える場所なのだ。蟹江町の本町商店街で二人が出会わなければ、私はこうしてこの世に生を受けていない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 名古屋駅を発車して3駅目がJR蟹江駅だ。所要時間は15分。近鉄の急行に乗れば僅か8分で蟹江に着くことは乗り換えアプリで確認済みだが、JRを選択したことには明確な理由がある。

 正式名称は蟹江町本町通り商店街という。事前に下調べをしておいた。誰かのブログに詳しい解説があったので重宝した。

 JR蟹江駅方面から本町商店街に入り、そのまま通り抜ければ自然と近鉄蟹江駅へと向かっていく。帰りは近鉄を利用するのが王道と説明されていた。逆のルート、つまり近鉄蟹江駅からのアプローチでは、本町商店街にアクセスしづらく迷いやすいとの記述があった。

 私の目的は本町商店街一本に絞っているので、迷わずJR蟹江駅での下車を選んだ。


 乗り換えアプリの時刻表通り、15分で蟹江駅に到着した。
 名古屋駅までは地下鉄の東山線を利用したが、私の家からの最寄り駅である星が丘からの所要時間は20分だった。つまり名古屋駅から見れば、星が丘よりも蟹江町のほうが近いということになる。これは地味に重要な事実だ。名古屋の玄関口である名古屋駅へのアクセスという面では蟹江町に軍配が上がるのだ。新幹線の利用においても、蟹江町の住民は多くの名古屋市民よりも時間的優位性を持っていることになる。

 海部郡蟹江町に対し、どこか見下すような感覚を持っていた私は、ある種の敗北感を覚えながらJR蟹江駅のホームに降りた。


 すると、早速違和感が襲ってきた。本町商店街の予習をしたブログには、たくさんの写真もアップされていた。JR蟹江駅は、写真ではとても小ぢんまりとした白い木造の駅舎で、これぞ田舎町の駅という風情が漂っている。しかし、目の前に広がる光景は何故か近代的な装いを見せているのだ。ホーム自体は古めかしいが、階段を上り改札を抜けると真新しさを感じる駅の構内が出現した。清潔感溢れる白を基調とした通路の壁には、蟹江町を紹介する動画のモニターや、ユネスコの世界文化遺産に登録されたという『須成すなりまつり』の案内パネルなどが掲げられている。その天上には、アーチ状の採光窓が走っている。

 最近になって駅が改装されたのだろう。ノスタルジックな昭和の趣を期待していた私は、肩透かしを食らった気分だ。

 お腹が求めているのはお煎餅なのに戸棚にはクッキーしかない。仕方なくそれを食すという選択肢を強いられる状況下に置かれたときの心境に似ている。

 更に想定していなかった事態は、北口と南口が存在することだ。ブログには一切の記載がない。きっと以前の駅は北か南のどちらか一方だけの改札口しかなかったのだろう。ここは地図アプリの力を借りることで窮地を脱することにし、南口へと進む。


 階段を下り駅舎から外に出る。雲の合間から照りつける日差しと重苦しい湿気が体に纏わり着いてくる。暑がりで汗かきの私には厳しいコンディションだ。マスク焼けも気になる。

 駅前とは思えないくらいに閑散としている。一軒だけ小さな飲食店らしき姿がある以外には民家しかない。やはり田舎町なのだ。

 道路が右と左に伸びている。左側は茶色のマンション、右側には白いマンションが見える。ブログの記事を頼りに右へ歩く。

 道路はすぐに直角気味の左カーブに差し掛かり、その先はずっと直線が続いている。道幅は狭く、自動車がやっとすれ違うことができる程しかない。

 ブログによると、今私が歩いている道も商店街ということになる。駅前商店街という名称で、この先のある地点から本町商店街へと名称が変わるようだ。


 この通りは商店街というよりは住宅街といった印象しかない。時折、歴史を感じさせるような店舗の名残も見かけるが、新しい住宅も多い。この駅前商店街のかつての様子は知る由もないが、おばあちゃんが本町商店街について言っていたのと同様に、最近は寂れてしまったということなのだろうか。


 生まれて初めて蟹江町の地に降り立った私は、冒険の始まりに胸の高鳴りが抑えられない気分になる。額に滲む汗を手の甲で拭い『何かが起こりそう』な予感を胸に抱きつつ、照り返しの強いアスファルトを踏みしめながら先を急いだ。


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