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人の中には必ず“その人だけ”のコンテンツがある、高校生もあなたも。

私は以前、予備校で小論文やAO入試の指導をしていたことがある。ほとんどの高校生は受験のタイミングまで文章を書く訓練を受けることなく、必要に迫られて対策をはじめます。

スキル面の上達は、回数をこなせばある程度はできてくる。それよりも、「自分が本当に感じていることを素直に書く」ことのほうが彼らにとってはるかに難易度が高かったりします。

初めて論文を書くと、多くの高校生は“同じようなこと”を書きます。ベクトルも深さもかなり似た内容。誰にでも思いつきそうな一般論的なことを書くのです。

教育が悪いとは思わないけど、高校生までの子どもって自分の考えを表に出して理解してもらう・共感してもらうという経験がかなり少ないんだと思います。大昔に高校生だった私も全く同じだったのでめちゃくちゃわかる。

そういう環境に居続けると、だんだん何が自分の意見なのかがわからなくなってくるんだろうなと思う。

大学受験ですら「親が大学に行けといったので」がきっかけで始まっていることもある。そこから「なんとなくあの学部が気になる」「これは自分ぽくない」といった感覚を紐解き、少しずつ自分の志望動機の輪郭が見えてくる。

繰り返し「これはおもしろい」「これはあなたらしい」と細かく伝えていくことで、自分らしさとか自分の考えというものが見えてきて、自信を持ってそれを書き始めてくれます。

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いまインハウスエディターとしてメンバーに記事を書いてもらっていますが、大人だって何もしないと、表向ききれいな、飲み込みやすい、わかりやすい部分だけを書いてしまいがちなんですよね。

しかしそれは、往々にしてどこかで誰かがすでに言っている言葉なのです。

あなただけの言葉を綴らないと、あなたが書く意味はない。そんなポテトチップスとかファストフードみたいな文章はいったん置いときましょう。

まとまってない、しかし熱のある、ごちゃごちゃした部分にこそ、その人ならではのコンテンツが眠っているのです。多くの人はそれに気づかなかったり、見て見ぬ振りをしていたり、恥ずかしがったり、重要じゃないと思っていたりする。

だからこそ、編集者が必要なのだろうと私は思っています。

ごちゃごちゃの中から想いをすくいとっていく作業。それを見つけ、輪郭をつくり、「これすごく良いですよ!」と価値付けをするのが編集者の役割だ。

最近特に「人をモチベートする」ということの大切さに気付かされました。人は求められていると感じたものは走り出しやすい。言い方は悪いけど、どれだけ相手を「乗せられる」か。書くのはカロリーがいるから、軽やかに走り抜けるためには何らかの燃料は必要ですよね。

そんなことを考えながら、今日も仕事をしています。


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