眩しさ

強い風が吹いていて仕方なく髪を束ねる。暑さが夏を予感させる。彼女は夏みたいな服を着ていた。
陽当たり良好!秘密基地みたいなカフェにて、いい匂いがする手作りマフィンとアイスコーヒーをいただく。
彼女に教えてもらった個展で、死んだおじいちゃんに会いたくて泣いている女性の絵を観た。
おまけ付きの絶品カレーは美味しくて、ひとくちごとに「うまあ、、」と声が漏れてしまっていた。彼女はカレーは宗教だと言っていた。今日の登校中、ああ確かにそうだなと思った。
日が暮れそうな頃、掘り出し物あります臭強めの服屋で、これから夏が始まるというのになぜか秋冬物の服を買った。

出会った人たちから何だか優しさを感じたし、犬もたくさんいて良かった。その街が良すぎたのか、私たちふたりともの調子が良かっただけなのか、どちらもか。何が作用してあんなにいい気分になれたのか、わからないけれど忘れずにいたい。目に映った景色ぜんぶ映画かよってくらい綺麗で信じられなくて、少し苦しかった。


普段あまり幸せと言えない。定義してしまった幸せに期待して、それが叶わなかったときに傷つくかもしれないのが怖いのだと思う。揺るがない幸せってなんだろう。その日、別に生活に大きな変化があった訳でも、追われていることやずっと考えていることが解決した訳でもなかった。ただ、あの時間は確かにそうだったと思う。そして、会いたい人がいるのも、やはりそうなのだと思う。


なんかこの街の嫌な部分とか悪いこと起きないと割に合わないねって話をしたけど、自己犠牲や不幸の分、良い事が起きるっていう考え方はとても辛いし、厄介なので辞めようと反省した。自ら不幸を探して、一体なんのバランスをとっているのだろう。なんの辻褄を合わせているのだろうね。自分がしんどいのが当たり前になってしまいませんように。


いつか、眩しさに臆病にならない人になりたいし、それでもあたたかさに慣れないでいたい。


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