3週間でワインのことがだいたいわかる!①

だいたいということは大事です…!

ワインの全てを知ろうとすると、うーん

一生かかります!!!!(キッパリ)

だいたい覚えて、それから興味があるあるところを膨らませていくというのがいいのではと思います

何に興味があるかを知るために、ワインというもののだいたいのことを把握しましょう!!

まずは、ワインに使われるブドウについてと、軽くワインの歴史について学びましょう

そもそもワインてなんだ?!


ブドウについて

地球上で栽培されている葡萄品種は14000〜24000種類くらいと言われてます

同じ品種でも違う名前がついてたりするので実際には、5000〜8000種類になるようです

よく耳にするカベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネなど、商業的に使われているのは1400種類くらいです

ブドウ属は70種類くらいですが、ワインになるブドウはヨーロッパブドウと呼ばれるヴィティス・ヴィニフェラというヨーロッパとアジアが出会う中東が原産地のものです

野生のブドウは森林地に生える蔓植物で、木に巻きついてよじ登って行き、日光を獲得し、花を咲かせ実がつきます

熟さないうちは緑色で目立たなくし食欲をそそらないようにしておきます

実が熟すと、鳥に食事の用意ができた合図をおくります食べて〜と、美味しそうに色づきます!

その実を鳥が食べます

鳥は飛びます

鳥がフンをして種子が撒き散らされ、繁殖します

ブドウは競争量が強く生態系も柔軟!

ブドウはもともとは有性生殖ですが、無性生殖で増やすことができます

接木をして親品種と同じコピーを新たに誕生させるのです

種子から育てると絶対に失敗します

遺伝子の組み合わせが変わるので、好ましい特徴が失われてしまうためです

突然変化の蓄積でクローンを得、クローンが合わさって品種を作っていきます


ブドウの歴史

実は古代には地球各地でブドウが生い茂っていたと言われています

シャンパーニュ地方のセザンヌ村では一億四千年前のブドウの葉の化石が、ヨーロッパ、北米、東アジアでも化石調査でブドウの葉や種子の化石が見つかっています

しかし氷河期に、それらは絶滅してしまいます

ところがユーラシアのトランスコーカサス(ジョージアらへん)で生き残ったのです

黒海とコーカサス山脈が氷河の盾になったのかもしれません

氷河期が終わって気候が再び温暖になるにつれ生き残ったブドウが中近東やヨーロッパに広がっていきました




ワインの歴史

雌雄同体株をみつけて栽培を始めたのが、紀元前6000年頃、黒海とカスピ海の間のアララト山麓地帯ではないかと言われています


遺跡や資料から察するに、ワイン文明の生みの親がメソポタミア、育ての親がエジプト、完成させたのはフェニキア人とギリシャ人ということになりそうです

その後はローマ人が続きます

初期の開発は自然の交通路である川の流域で、敵の伏兵を警戒するために樹々を伐採して耕地にし、船を使いワインを運んだようです

ボルドー、ブルゴーニュ、モーゼルはガリア南部やイタリア、ギリシャ産のワインの取引の中心地として栄え、その後ワインが作られるようになりました

ブルゴーニュには船が通れる川はありませんが、北に向かう幹線道路がありました

ローマ帝国滅亡後、フランク王国のカール大帝はローマ帝国のシステムを再現させ優れたワインづくりの法規制に力を注ぎました

拡大主義の修道院は丘の斜面を開拓し、石垣をめぐらせました

ブドウ栽培者が亡くなったり十字軍に出発する時畑を教会に寄贈したので、教会は最大の葡萄畑所有者となっていきます

ベネディクト派はみごとな葡萄園をつくり、贅沢な暮らしをしていました

それに反発したのがシトー派で、禁欲的な教義を打ち立て発展してクロドヴージョなどの大葡萄園を築き、壮大な修道院をヨーロッパ全土に設立していきました

イギリスの市場を向いていたボルドーは教会による支配を免れました

17世紀が始まるまで、衛生的で貯蔵できる飲み物はワインだけでした

水は安全な飲み物ではなく、蒸留酒もなく、 ホップを加えないエールビールはすぐに傷みます

17世紀に入ると、中央アメリカからチョコレートが、アラビア半島からコーヒーが、中国からお茶が入ってきます

オランダが蒸留技術と蒸留酒貿易を発達させ、フランス西部は蒸留酒用の安い白ワインの供給地に変わります

ホップがビールを安定したものにし、都市では清潔な水道水が手に入るようになります

ワインは破滅の危機でしたが、ちょうどガラス製の瓶やコルク栓の登場で長持ちするようになりました

17世紀半ばには現在のボルドーのような品質を重視するワインの考え方をシャトーオーブリオンが取り入れたのと、18世紀にはブルゴーニュのコートドニュイで作られた濃い色合いの長熟させたもの需要が伸びていきます

ブルゴーニュではピノノワールの栽培が義務化され、シャンパーニュでも張り合ってピノノワールを植えました

ボルドーではマルベックに変わってカベルネが植えられました

ワイン取引の勢いは増し、ワイン貿易の依存度はかなり高まります

1880年のイタリアでは総人口の80%以上がワインによって生計を立てていたほどだそうです

カリフォルニアワインの最初のラッシュの最中、フィロキセラが世界のワインを滅ぼしかけましたが、この時植え付けの合理化や台木への接木、最適な葡萄品種の選択をしてワイン界は再出発しました








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