実家にあるコーヒーの話
昔、実家にあるコーヒーは決まっていて、ちょっと長めに車で移動したところにある喫茶店のブレンドコーヒーだった。
父が休みの日には、父か母が棚からごとごとをコーヒーメーカーを取り出し、フィルターをセットしてコーヒーの粉を取り出して入れる。
しばらくすると軽く柔らかい酸味を感じるコーヒーの香りが漂ってきて、その頃にはコーヒーメーカーのガラスポットの底に少しだけ、琥珀色のような赤みと茶みのコーヒーが落ちていて、そこからはあっという間ポットにコーヒーがたまる。
家族の外食でコーヒーを飲むのやインスタントコーヒーを使うのは父だけである。母は苦くて好きじゃないというし、私は酸っぱくて苦手。
そして母はうちにあるその喫茶店のコーヒーしか飲まなかった。
なんでも、母はコーヒーがもともと飲めなかったのだが、父とデートで行った、その喫茶店のコーヒーだけ飲めるという話だった。
父はそのために、その喫茶店からひと月にいっかいだけ飲みきれるぶんのコーヒーを買ってきていたのである。
コーヒーが落ちきると、めいめい適当なマグカップや湯飲みに好き勝手に入れて飲む。お勝手で作業用の椅子に座って作業机にそこらへんの菓子も作業机に持ってきて、なにも喋らず静かに飲むコーヒーは私の家庭の思い出だった。
その後、大きくなった私はひとりでも喫茶店に入るようになり、飲めるコーヒーというのがわかってきた。実家のコーヒーとは真逆の方向性であることもわかった。
ところで、最近の実家にはそのコーヒーはない。喫茶店で買いにくくなってしまったとか、その喫茶店の近くを通ったときに父から聞いた。
今の実家にはドリップパックが置いてある。美味しいが、相変わらず私の趣味とは全然違う味のものだ。
コーヒーメーカーも滅多に取り出さなくなったという。母はコーヒーを飲めるようになったので、ドリップパックでも十分らしい。
先日、実家に帰った。
ドリップパックのコーヒーを3つ入れて、お勝手の作業用の椅子に座って、私のお土産のお菓子を作業机に広げて置いて、父と母と何にも喋らずにコーヒーを飲む。
何十年たっても家庭の味だなと思った。
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