見出し画像

愚痴 #1

論理的に書く気力すらない。分かりやすさを考えられる状態じゃない。自分でもわかるような早さで性格や考え方が歪んでる。暴言を吐きたい。でもそれを押さえ込もうとする自分がまためんどくさくなってしまうんですね。くっそめんどくせえなあカスが、って。

これといった出来事もなく、ただ淡々と毎日過ごしていて、成長もほとんどできてない。何故か寂しさというか人肌恋しさというかそういうものだけが大きくなっていって、けれどもそれを埋められるわけでもなく、ジワジワと気力が削がれていってる。病んでるとは認めたくない。うまい飯も食えてて、友達にも会えてる。不便だってないけれど、明確なネガティブな出来事もないけれど、何故か生活に穴が空いてる。

いつもだったら「なんでこういう気持ちになるのか」と考えはじめ、それを考えてるうちに他の楽しみができてもうどうでもよくなってるが、今は考えられないし、たとえ人と会ったところで、もちろん楽しいけど、何故かそこでも不安や焦りが襲ってきて、純粋に楽しめてるのかどうか、わからない。相手のせいでもなく、自分のせいのような気もしない。

寂しさが大きくなるにつれて、よくないことが頭をよぎってくるけれど、それはどうにも自分勝手で、度胸もあるわけでもなく、その部分でも自分にブレーキをかけてしまうことを考えると、さらに自愛や自信が削がれていく。もっと素直になったり、嫌われることを心から気にしないようになれればいいのだろうけども、そうはいかないからこそ、なおさらむかついてしまう。

「裸になる」という決意、課題はまだ現在進行形で、これを取り払うには、また気力が必要だ。だからせめてこの弱い部分を凝縮したような note を書いてる。

正直、寂しさだけが埋まれば他の気力は湧いてくるような気もしてるけれど、そこにブレーキをかけてしまう自分がいる。そうやって同じところをループしてる。ただ、ループするほど体力は削られていて、回復するにはその寂しさを埋めなきゃいけない。何故回復するためにそれが必要になってしまったのか、憤怒の感情が湧いてくるが、自分のせいとも言えず、はたまた誰かのせいとも言えるはずもなく、そこでまた感情が詰まる。

ナイーブになった時はいつも Rear end の My City を聞くと穏やかになるが、今回のはそうともいかず、あの頃の情景が浮かんではきつつも、何かポジティブな感情が湧いてくるわけではない。

こういう時に声をかけてくれる人はいるんだけど、結局「どうすれば解決できるのか」という話が始まり、結局答えが出ないまま、また同じことを繰り返す。おそらく解決する物理的な手段はなく、もはや精神的な支柱、もしくは依存先が必要なんだと思う。

ただ、「心配してほしい」みたいな感情も大きくなっていて、それにともなって寂しさを埋めてほしい、みたいなゴミのような思考が巡っていて、それも自分を嫌になるひとつの要因になってる。アホみたいに根拠の無い希望で溢れているのが自分だと思っていたけれど、こんなふうになるといよいよよくわからない。クソが。

論理を信用しすぎていたために、論理ではないところの問題が大きく固い壁になってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?