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いつか映画監督になるキミへ 【創作大賞2023 エッセイ】

(文字数=6371文字・読了目安時間=8分)

はじめに

"漠然さ"は人を殺します。

今は誰でも発信者になれる時代です。ボクがテレビ局に入社した頃は考えられなかったほど選択肢も豊富で、ある種、贅沢な時代だと思います。当時はクリエイティブな仕事に就きたいなら勇気を出してフリーランスの作家になるか、努力と運でマスコミ企業の狭き門を潜るかの二択しかなかった気がしますから。

なのでこのエッセイは、今の時代にクリエイティブな仕事を目指す人たちの共感は得づらいかもしれません。だけどいつかスポンサーや全国や世界を巻き込んで大きなクリエイティブを作りたいならば、きっと避けては通れない葛藤がここに書かれています。

積み上がるダンボールだらけの部屋でこのエッセイは書かれました。沢山の人に自分のクリエイティブを見せつける、そんな未来を見据える人と経験を共有できたら幸いです。


経験ゼロの映画監督、生まれる

何かの間違いかと思った。

テレビ局でバラエティ番組を作り続けて6年目の秋、あろうことか、無邪気に書いた映画の企画書が通過した。まるで未知の世界が幕を開けた。

映画監督といえば非常にクリエイティブで、誰よりも先陣を切って創り、その背中をスタッフにも見せつけるような存在だと思っていた。しかしそんなイメージは、カリスマ級の著名な映画監督を取材するドキュメンタリー番組の数々が作り出す虚像なのだと思い知った。

映画制作は、基本、出資元企業の意向に沿う座組みで進む。制作会社のプロデューサーがキャスティングや資金繰りを、(畏れ多くも)ボクに付いた40代の助監督が撮影スケジュールやスタッフ繰りの調整作業を進めてくれた。最初は「いろいろやってくれて有難いなぁ」と思った。

だけどある日、流石に手持ち無沙汰になってプロデューサーに何か手伝えることはないか打診した。すると、面倒な交渉ごとは周りの人間がやるから監督は待っていてほしいとボクの申し出は叶わなかった。企画発案者でありながら蚊帳の外にいるような心地の悪さがあった。

映画はボクのオリジナルのプロットだった。30歳のニート男性が手に入れた特殊能力を駆使して、時に調子に乗り、時に痛い目を見ながらも、次々に立ちはだかる難題を乗り越えていくシナリオだった。ボクが幼い頃から憧れ、あったらいいなと願う特殊能力を目一杯表現した物語だった。

そんな映画製作がいよいよ始まる初日の会議で、ボクは愕然とした。この映画の主演が20代の女優になるというのだ。出資者とプロデューサーの間でキャスティングフィー、スケジュール、上映後のビジネス展開などを加味した話し合いが行われ、決まったことらしい。

「監督、そのような意向ですが、よろしいでしょうか?」
「いや、よろしいも何も…」
「監督の仕事は、決断することですよ」

主演が女優になることは覆らなかった。

当然、主役の変更に付随して周囲の登場人物、設定、ロケーション、言葉遣い、ディテールなどコンテンツを左右する大きな要素も全て変わった。バラエティ番組の制作業務が終わる深夜から朝方にかけてプロットを破壊しては繋ぎ直し、"20代女優が主役version"になるように内容の整合性をとり続けた。

かろうじてボクの描きたい特殊能力だけはプロットに残った。これはボクの映画だと言い聞かせ、何度も自分を奮い立たせながらカビ臭い制作フロアで夜を越えた。

「監督、一瞬だけ、起きられます?」

デスクで寝落ちした朝方、出社の早い美術さんによく起こされた。

「このシーンに準備するヒロインの靴下の色、どうしましょうか?」
「主人公の心情に合わせて、濃い目の紺色でお願いします」
「承知しました!」

映画で実績のない人間が雰囲気で発言すれば周囲に不信感を与えかねない。早速映画の枠組みそのものに大きな変更が起きてしまったし、ボクに決められるのはスクリーンの中に映る小さな要素ばかりだったけど、スタッフから決断を求められた時は、必ず、理由を付けて打ち返すよう徹底した。

(あぶねー、靴下の色とか、よほど変じゃなければ何色でも良くない…?)
その場を凌いだボクは胸を撫で下ろす。

いつ誰からどんな角度の質問が飛んでくるか予想がつかなかった。だけど、口が裂けても「お任せします」とか「考えたことなかった」なんて言えない不思議なプレッシャーがあった。ひとまず準備段階では、これが監督の役割みたいだ。決断を迫られては、理由付きで答え続けた。たとえ付け焼き刃だとしても。


理由ゼロのデザイナー、現る

見知らぬ女性を泣かせてしまった。

プロットの修正が一通り終わる頃、ふらっと入った三軒茶屋の立ち呑み屋で小さな会社勤めのデザイナーの女性と出会った。彼女は東京五輪2020のロゴコンペで惜しくも数日前に最終選考手前で落選したばかりで、絶賛ヤケ飲み中とのことだった。闘いに敗れた彼女のロゴイラストと、原文のほぼ残らない赤ペンまみれのボクのプロットを肴に二人でくだをまいた。

彼女は(ボクと違い)とても愛嬌があった。思ったことをそのまま伝えられる素直さもあった。彼女ならプロデューサーや出資者の会話の輪に上手く入り込み、大切な要素を守りながら映画製作を進められたかもしれない。「ウチの子は、他所の親御さんの方が上手く育てられたのかも…」なんて思うと、大抵の親が胸を締め付けられたような気持ちになるはずだ。

最終コンペ目前で敗れたという彼女のロゴは、細かい紙切れが集合して東京タワーの体を成し、その下に「東京五輪2020」のテキストが入っていた。タワー全体の8割が真っ黒で、下部の2割はカラフル。そして根元がパラパラ散っているデザインだった。真っ黒な東京タワーが完成していくようにも見えるし、真っ黒な東京タワーが足元から壊死してカラフルな欠片となって解き放たれていくようにも見えた。何だこれは…。気になって彼女に質問をぶつけると、会話は予想外の方向へと転がった。

「東京タワー、どうして黒いの?」
「え?なんとなくだけど…」
「なんで下にいくにつれてカラフルになる?」
「う〜ん、どうなんだろうなぁ…」
「足元がパラパラと散っているのはどういう意味?」
「どうしてどうしてって、理由なんて無いよ!」

なっ。

ディテールに理由がない、だと!?
三茶の赤提灯の立ち呑み屋に、それはそれはデカい雷が落ちた。

「素敵だからじゃ、ダメなんですか?」

彼女は誰にも聞こえないくらいの小さな声でそんな台詞を呟くと、「キミは良いよね!」と叫んでわんわん泣き出してしまった。感情を表に出すことが苦手なボクには絶対できない生き方だと思った。開いたままの彼女のスマホ画面には「選考の結果に関するお問い合わせにはお答えできません」という但し書きが映し出されていた。有権者の意向を気にしなくて良い代わりに、フィードバックももらえない。それが彼女の闘っている場所だった。

不自由だけど確実に世に出るモノづくりか。
自由だけど博打を打つようなモノづくりか。

ボクたちは表現の道に進む前に、お互い、どちらのクリエイティブで一旗揚げたいのか冷静に見極めるべきだったと思う。道の中腹まで突き進んでから環境を変えるのは、とても大変なことだから。

数日後、プロデューサーから連絡があった。

予算・スケジュール・納品の間に合いなど「複合的な理由の兼ね合い」で、どうしてもこの映画をワンシチュエーションものに作り直さないといけないという。

「監督、決断してください。」

もはやプロットは、赤ペンを入れすぎて真っ赤な塗り絵みたいだった。


クリエイター、死す

映画作りは佳境の、撮影と編集に入った。

色々なことが当初思い描いていたように進まなかったが、撮影と編集こそ表現者の腕の見せ所だ。理にかなった的確な指示でスタッフを率いることを目指した。

現場にやってきたのは、映画やドラマ業界で名の知れたカメラマンだった。

「もう少しカメラを振って、背景の木が入りきるようにしてください」
「監督、次のカットとのつながりが悪くなるから厳しいと思います」

絵作りは思い通りにいかなかった。

クライマックスで雨が降った時、40代の助監督に撮影続行の旨を伝えた。

「雨が降ってきましたが、これはこれで感情的なシーンの演出としてアリなので、このまま雨の中で撮影を続けましょう」
「監督、今衣装が濡れると時間が押して撤収が間に合わないので、クライマックスは明日に回しましょう!」

突発的な演出も思い通りにいかなかった。

編集は、プロデューサーが雇った編集マンをボクが後ろから見守る形で進んだ。てっきり、バラエティ番組のようにディレクターが自ら行うものだと思っていた。

「このカットのケツは、余韻でもう1秒伸ばしましょう」
「監督、それやると序盤テンポが落ちて全体のリズムが台無しになります」

編集も思い通りにいかなかった。

この映画作りは、いちいち理由が要る代わりに世に出る確度の高いクリエイティブだった。しかし、決断にいちいち理由を付けたとしても、それが承認を得られるとは限らない。局所的なこだわりは、より先まで見据えられるベテランには頓珍漢に映ることがある。

どんどん映画が完成に近づく中、プロデューサーから話があった。

主人公が特殊能力を使うシーンに入れるCGが、残りの予算の都合で全箇所に入れられないことが発覚したという。ヤバい。どれくらいヤバいかと言うと、孫悟空が「カメハメ波!」と叫び手を出したのにその手の平から光線が出ないようなものだ。あるいは、セーラームーンが廃ビルの背景のままのお着替えシーンに突入してしまうようなものだ。勿論、特殊能力を使うシーンにCGが入ることはプロットの時点からずっと共有してきたことだ。「こういう場合はCG無くても大丈夫」などとは、一言も言っていない。

出資者も交えてプロデューサーとボクの3人で話し合い、CGを入れる箇所はシーン全体の1/4に厳選することで話が着地した。CGの数に限りがあると知っていれば特殊能力の発動シーン自体を削る判断もできたけど、既に撮影も終わっているから後の祭りだった。

「CGを入れるシーンの"決断"は、監督にお任せしますので」

母親からは「冗談でも死にたいなんて言わないで」と念を押されていた。だけどボクはこの日、生まれて初めて「この映画のクレジットに監督として名前が載るくらいなら死にたい」とプロデューサーに明確に伝えてしまった。当然、すごい剣幕で怒られた。

ボクのプロットが出資者に気に入られた時点で、どう足掻こうと、この方向に流れることは決まっていたのかもしれない。とうとう最後まで彼らを攻略できなかった。元から出資元もプロデューサーも"攻略対象"ではないはずだが、相談もなく主役を入れ替えられたあの日からずっとボクは彼らをそう見てしまっていたのかもしれない。

後日CG入りデータをスタッフたちと試写すると、CGはボクが厳選した重要なシーンだけでなく他シーンにも散りばめられており、想定の2倍くらいの数が入っていた。「死にたい」とまで言って抵抗したボクの為に、プロデューサーがCG会社に、パターンを減らす代わりに少しでも数を増やすよう一肌脱いで交渉してくれたという。

ワンパターンなCGがほどほどに入った映画はメリハリを失っただけでなく、やけにしつこい印象になっていた。結果、映画はおもいきりダサくなった。

この日から一度も、ボクは自分が映画監督であると名乗らなくなった。


いつか絶対ぶっ飛ばす。

「今回の映画で、監督がこだわったポイントは何ですか?」

映画公開初日、いわゆる監督挨拶があった。200名分の観客席が埋まったそうだが、照明がキツく焚かれていて壇上から客席はよく見えなかった。

色々な"決断"を繰り返してきた。

20代女性の心情を描くうえで最適なキャスティングで臨んだこと。テーマを立たせる為にワンシチュエーションの撮影に絞ったこと。特殊能力CGが出現したり出現しなかったりする理由は、観た人の解釈に委ねたいこと。

映画の特徴めいた部分にいちいち理由を付けて説明すると、会場は大きな拍手に包まれた。

舞台袖へハケた時、関係者スペースで高級そうなスーツを着た白髪のおじいさんとすれ違った。プロデューサーが大慌てで後ろから駆け寄ってきた。

「監督、このお方がエグゼクティブプロデューサーですよ!」

お金を出したのが彼なのか。ボクの企画書をピックアップしたのが彼なのか。エグゼクティブプロデューサーが何をしている人なのか。現場のボクには今ひとつ分からなかった。

「この度は、素敵な機会をいただきましてありがとうございました。」

何の現場の苦労も共にしていない彼に頭を下げた時、心がなくなったみたいだった。そんなエグゼクティブプロデューサーもまた色々な事態を乗り越えてきたようにも見えたし、大して何も乗り越えてこなかったようにも見えた。

その場を後にしながら、誰にも聞こえない小さな小さな声で暴言を吐いた。
誰に言ったのか未だによく分かっていない。

上映終了後、映画を見にきた観客(ほぼ主演のファン)からサインを求められた。彼らはボクを映画監督だと信じて疑わなかった。だけど舞台で挨拶していたのはきっと、監督を演じる別の誰かだった。

「では、Tシャツの背中いっぱいに書いちゃいますね!」

ボクはサインに応じながら、いつかもっと自由に、もっと面白い映画を作って彼らに届けてみせると誓った。

帰り道、スマホに1件のLINEが届いた。

「CGは、絶対に全部入れるべきだったと思う!」
「うるさいなぁ」

ずっと音沙汰のなかった懐かしいデザイナーからの連絡だった。

「でも最初、ちょっと泣けたよ」
「前半に泣けるシーンあったっけ?」
「その最初じゃないよ。とにかくおめでとう」

こうして初めての映画作りが終わった。長い夢でも見ているようだった。翌朝会社に出社すると、わざわざ映画公開に足を運んでくれたという局長に声をかけられた。

「がんばったなぁ。今度、お前に年末の大型特番を任せるわ。」

密かに企んでいた沖縄旅行がふっ飛んだ。
何かの間違いかと思った。


終わりに

今まさに、引越しの準備を進めながら、ダンボールだらけの部屋でこの文章を書き上げました。

あの不甲斐ない映画作りの経験をして以来、不思議と、ボクの本職であるバラエティ部門でやたら企画が通過するようになりました。いざ制作が始まってから立ちはだかる壁たちを事前に避けた企画を書けるようになったからかもしれません。

この出来事をきっかけに始まった企画三昧の日々の経験は、映画作りとは比べ物にならないほどの理不尽や葛藤の連続でした。文字通り「死闘」を繰り広げたこともありました。色々な経験を経て少しずつ大人になりました。

そんな今、会社を辞めようか検討をしています。いつ退社しても良いように、ローンを組んで海の見える静かな街に家を買いました。

自分が人生を削ってまでやりたいと思ったクリエイティブは、どんな環境下でのクリエイティブなのか?このエッセイを読んだクリエイターの卵さんに、少しでもそんなことを考えるヒントを与えられていたら幸いです。

あの日ボクは、誰をぶっ飛ばすと胸に刻んだのでしょうか。何年も前のことだからもう分かりません。だけど、漠然と誰かをぶっ飛ばしたいことだけはずっと覚えていて、この気持ちはこれからも続くのだと思います。

荷造りは大詰めです。壁に貼られたままの映画のポスターも剥がし、引っ越し先に送る段ボールに詰めました。新居でも一番見えやすい場所に貼るつもりです。勿論過去の栄光などではなく、自分への戒めとして。

数年ぶりに彼女のLINEを検索すると、LINEアイコンの画像が赤ちゃんの顔になっていました。誰かに説明する必要のない、分かってもらう必要もない、素敵な人生を歩んでいると信じてやみません。

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