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2021年も半年を過ぎ(雑感)

夜の底に落ちる雨音が
妙に響いている
また、書けなくなる前に

上半期の振り返りと今思うことを。

ただ集めて愛でていたカードを
読んでみようかなと思ったのは
昨年12月半ば。
キリ良く年始からの新しい趣味にしようと
年始から取り掛かり全力で3月末辺りまで
勢いのままのめり込み
ふと思う。

「果たしてこういうことがしたかったのか」

違和感を飲み込みつつ続けるも
日に日に些末なズレが積み重なり
5月半ばごろ
いよいよ手が進まなくなってきた。

ずっとピントが合わない。
カードリーディングが嫌いになったとか
飽きたとかではなく
でもコレジャナイ感。

振り出しに戻って考える。
なぜ、読むのか。



突き詰めて考えれば、
私が求めて止まないのは瞬間の鮮やかさだ。

8K画質の無修正や
執拗で露悪的なゴア描写に慣れた目にも
際立って映るもの。

美麗であること、端正であることとは違う。
鮮明でありさえすれば、美醜は問わない。
余分なものを限りなく削いで、
もっと的確に、もっと克明に、
その瞬間だけを、
繰り返し、繰り返し、見ていたい。

そして願わくば暴き出したその一瞬が
誰かの密かな衝動を扇動することができたら

期待する。



カードにはそれがある。

無数の解釈の誘惑はあれど
その日その時そのカードが出ている意味。
厚紙一枚が示す真理の鋭さよ。
卜術の偶然性を私は愛している。

誰かのためにリーディングをすることは
今の私にはできない。
だから対人のリーディングもしない。
この半年で占いサイトや電話占いなどから
有り難いお話も頂いたが全て丁重にお断りした。
この分野で人の役に立ちたいとは
現在 露ほども思っていないから。

ただ独り占めするにはあまりにも
カードの映す世界は面白い。
衝動と顕示欲と虚無をうまく取りもって
私なりの道を探す日々はもう少し続きそうだ。



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