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再び「デザイナー」と名乗るようになった自分がデザイナーになったわけ

必殺技を覚える感覚が楽しかった。
ただそれだけの理由で、webデザイナーになった。
上手くなったら、当時絶交していた友人のwebサイトを作りたいと思っていた。

大学は一般の四年制大学の文学部だった。
周囲の友人の影響もあり、クリエイティブ系の職種に就いてみたいとぼんやりと考えていたので、大学を卒業してそのままデザイン系の専門に入った。

そこではビジュアルデザインを専攻しており、webはあくまでも二年次の選考科目のうちの1つだった。

webの授業も最初は特に思い入れがあったわけでもなく、どんな授業があったかすら良く覚えていない。
当時flash全盛期、美ら海水族館のwebサイトのトップページで、flashのクジラが泳いでいたのを「すごいなー」とまるで他人事で眺めていたような気がする。

そんな今ひとつヤル気に欠けた学生であった自分の1つめの転機は、専門学校の図書室で西田幸司さんの作品に出会ったことだった。

なんて美しいんだと思った。
自分もこんな美しいものを作れるようになりたいと思った。

2つめの転機は、最終課題で自分のポートフォリオサイトのデザインとコーディングを行ったことだった。

当時はノーコードツールなんてない。
コーディングはメモ帳に手打ちだった。
HTMLタグを検索してはにらめっこしてサイトを作っていった。

この作業がとても面白かった。
タグを1つ覚えるたびに1つ必殺技を身につけたような感覚を覚えた。楽しくて没頭した。

専門を卒業後、今考えるとグレーなSEOのアルバイトをしたりしながら(同年代の方なら分かるだろう、2011年頃まで良くあった被リンクをつけまくるやつだ)、
2012年1月、10人ほどのデザイン会社に拾っていただき、やっとwebデザイナーとしてのキャリアをスタートできた。
もう26歳だった。

がむしゃらにやった。
先輩たちはすごかったし、IE6でfloatもうまく使えず躓いている自分は先輩たちに全く追いつけなかった。
でも自分に出来ることをやっていたら、次第にそれなりの形にはなっていった。
3年半働いた。

2社目に転職した。
肩書きからは「web」が取れて、「デザイナー」になったが、引き続きwebの仕事を多くしていた。
今振り返れば、デザイナーを辞めようと思って、当時の募集要項にはデザイナーからディレクターへのキャリアパスがあると書かれていた会社へ転載したんだった。
結局その会社でも5年半デザイナーをした。
仲間にも恵まれ、ディレクターにはならなかったがデザイナーチームのマネージャーになった。

現在、3社目。
デザインの対象も変わってきた。
それまでの2社で経験のなかった媒体やカテゴリのデザインもするようになったし、デザインの対象がデジタルやグラフィックだけでなく、組織にも広がった。

次第に自分の肩書きも良く分からなくなった。

何か、よりインパクトの大きなものをデザインしなくてはいけないようにとらわれた。

SNSのプロフィールから「デザイナー」を消した。

気が付けば、デザイナーとしての自分を、自分自身が否定していた。
1年もの間、それに気が付かなかった。

webデザインの面白さを知った頃、
いつかwebサイトを作りたいなと感じていた絶交中だった友人は、当時の仕事はもう辞めてしまっており、今では個人webサイトを必要としていない。
ただ、ありがたいことに今でも親交がある。今ではお互い母となり、子育ての情報を交換したりしている。

始めた当初は、彼女のwebサイトを作れたらいいな、と考えていた。
自分の持つスキルで相手の役に立てれば嬉しかった。

もう12年が経ったけれど、自分は顔が見えない相手のためには働けないことに気が付いた。

SNSのプロフィールを「デザイナー」に戻した。




デザイナーがデザインする領域が広がってきている時代に、これを読んでいるあなた、もしあなたがデザイナーであれば、あなたは何をデザインする人だろうか。

手を動かし続けることにこだわる人だろうか。

高度デザイン人材を目指す人だろうか。

あなただけのデザインのフィールドを探している人だろうか。

少なくとも、誰かが作ったラベルを貼り、何かのカテゴリに自ら収まりに行く必要はない。

デザインの領域が広がっている時代だからこそ、大切な問いなのかもしれない。
あなたがデザイナーになったわけはなんですか?

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