2020.5.31-2

Memo flowyをインストールした日のこと

メモを書くことが自分を高速で素材化する

私たちはいろんなことを書いて暮らしている
その日あったことをネットに書いたり
もっと公的に論文を書いて投稿している
SNSに投稿されるポストの引用だけでも
あらゆる専門書になるんじゃないかと思う
こんなに文字の多い時代ははじめてに違いない
内容が様々なら、使っているエディタも様々
書き手の数は膨大で、道具も大量につくられている
twitterのクライアント、noteの編集画面
あるいはwordといったエディタなど、たくさんの書く道具がある
道具があってはじめて書けることは意外と多い

石とノミを手渡され、日々のツイートと同じことを彫る人はまずいない
書かれる内容は、その人の内側から出てくる個性にのみ依らず
それらの書く道具に影響を受けているのだ
そう多くない文字しか一生に打てないならば
もっと吟味して文字を彫ることになる
書くハードルが下がって、私たちの書ける内容は幅広くなった
何を書くかという個人的な問題は、著者の内面や才能だけでなく
確実に、道具に依存しているのだ

ペンかパソコンか、という区分けが大雑把にすぎると思う
別にペンでも構わないが、ぼくはパソコンが明日なくなったら本当に困る
ふつう私たちは、書きたいことに応じてエディタを選んでいるはずだ
twitterの140文字。noteの長文。Lineの二語文。絵文字のみ
ぼくも色んなことを、色んな道具で書いているということを
ここでは書いていきたい

もっと手早く素材化したいと思って、エディタを見直すことにした
日々の暮らしを書くこと。つまり日記はわりと一発書きで済ませてしまう
腰を据えて書くのでstone一つで十分に事足りる。stoneは見た目がよかった
もっと段取りの長い、息の長い文を書くために別の道具がほしくなった
生活では感じられない遠い出来事を書くこと
調べたものを書くこと。書きたいものに関する資料を集めて書くこと
そうした、自分とは関係ない遠いことを、調べながら書くこと
それが、論旨に内面の混じる怪文書化を避ける条件ともいい
そうした条件をクリアしようと、ぼくは新しいエディタに頼ろうとしたら
書き方も考えることになった。調べながら文頭から順に、白紙に書くのは
まあ、無理だと思うから

長い文章を一気に書けないが、細かい箇条書きならまだ書ける
wordだけでやってけるなら道具は増えていないことは先に述べた通り
素材になる文章をあらかじめ生活の端々で打ち込んで
後で短い箇条書きをひとつに編集するような二段階の書き方はどうだろう
新しいエディタは、そうした素材化したい短文を気軽に書き込める道具なんじゃないか。そうか、ぼくがほしいのは、立ち上がりが速くて
気が散らないシンプルさで、文体も論理も気にせずに
喋くるように文字を流し込めるようなエディタだ

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