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主に日記をやります。 Twitterで通知しています。 noteの記事はすべて、「書くこと」を設計行為と類推しながら、誰でも使える新しい書き方を考えるために書かれています。

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    panpanya漫画の二次小説を置いていきます。

最近の記事

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風呂場の作家

    • アジフライの旬が来て去る

      夏のおわりに専門店でアジフライ定食を食べる。 これまでアジフライに興味がなかった。味はぼんやりとしか想像できない。最後にどこで誰と食べたか、まったく覚えていない。目の前のアジフライ定食に、まったく自分ごとではないような気持ちを石上は感じている。 石上丁。ものをつくる仕事をしている。通勤中は音楽を聴き、ランチは外で済ませる。ある音楽家をよく知ろうとして音楽を聴き、動画を見て、インタビュー記事を読む。それを繰り返すうちに、アジフライを調べ、職場から近い定食屋を探す。実際に食べて

      • 2022.8.22

        物語の構造は円環のかたちをしている。どの話の主人公も何かを開く。そして閉じる。 何を。というのは変数のようなもので、生み出される物語の数だけあってよい代物で、考え過ぎてもよくない。その日の気分で選ばれるのが妥当だと思われる。目についたものを片っ端から開き、開いた風呂敷をどうにか閉じるべく運命を道理を、屁理屈を考えることで、物語に安定した輪をかける。この話における主人公もまた、そういう職務の登場人物としてある。 昼は顎の治療をして過ごす。口が開かなくなった顎にはマッサージの

        • フィールド・レコーディング of 新宿区袋町

          コートハウス袋町とある。それで、ここの住所がわかった。 夏の夕方の気持ちよさは言葉にしがたい。 茨城で見たような、芝生の庭付き一戸建てが現れた。その大きさにメロン農家だと直感的に思い、即座に否定する。EVの原付が走ってきた。郵便局の赤い車体をしているが、最近はカブをとんと見なくなった。その音は記憶の網に引っかからない。今ここじゃない場所を想起させることなく、去ってゆく。 信じられない豪邸の向かいに古い木賃アパートがあり、斜向かいに一人だけ入れるブースのような交番に警官が

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        記事

          2022.5.9

          『昭和16年のTVチャンピオン』 そのころの帝都には無論、TVチャンピオンというものはなかった。 ここでは、貴族の間でピクニックが流行っていた、ということにする。 現代に写真が幾葉か伝わる。男たちしか写っていない。女を排した集まりに珍しさはないが、野山に遊ぶ男たちの手元にはバスケットがあり、楽しそうに食べている。ちょっと時代のわからない構図をしている。 そのころ、男たちたちが用意できた品目は一つだけ、ドレッシングをかけたサラダ、と伝わる。 「女もすなる料理といふものを

          2022.4.21~23

          研修先でおぼつかなかった個人トレーの作り方を家に帰って復習した。教科書を読んだら思い出せた。他の科目も同様にして思い出していけば自信がつくし、恥ずかしい思いをしなくてすむと思う。 今回は読むだけにしたけど、次からはノートにとったほうがいいだろう。ノートを学校でも持ち歩く。次はC処のやりかた、保存かな。それでCRと、窩洞形成、抜髄のやり方まで分けて復習する。 研修の実際がわかるhp https://www.kouikai.or.jp/recruit/interview.ht

          2022.4.20

          今日も雨なので行き帰りは電車。通勤時間は青空文庫のカットアップで暇をつぶした。 * 宵宮の十四日には夕方から霧のような細かい雨が花笠の上にしとしとと降って来た。踊り屋台はぬれながら町内を練り廻った。 本日ゆず湯というビラを見ながら、わたしは急に春に近づいたような気分になって、いつもの湯屋の格子をくぐると、出あいがしらに建具屋のおじいさんが濡れ手拭で額をふきながら出て来た。 わたしはいつの間にか流し場へ出て、半分は浮わの空で顔や手足を洗っていた。石鹸の泡が眼にしみたのにお

          2022.4.18〜19

          サラミとバゲットとチーズと果物とワインがあればどこでも楽しい fin #study #2022-04-18 自由律俳句 ✳︎ まぜそば900円。看板と店構えに新しさを感じた。フルーツサワー専門店の二毛作で昼は麺を出している。ランチをはじめる店が飲み屋街に増えてきた。 ✳︎ 街に何軒かある花屋で、水色と黄色のツートーンで仕立てた花束が売られているのをよく見かける。売上は募金になるのだそうだ。いろんな応援がある。横流しのレーションを高値で買うことは兵站への妨害につながった

          2022.4.18〜19

          2022.4.18

          今日は行きと帰りの電車で青空文庫をカットアップしていた。 夕飯にきゅうりの酢漬け。土井善晴のやり方でつくるのを覚えてから小料理屋の突き出しのような美味しさである。料理本は偉大だ。 * よっぽど古いお話なんで御座いますよ……。 私の祖母の子供の時分に居りました、「白」という猫なんで御座います。白毛だったんで御座いますって。 随分永く――家に十八年も居たんで御座いますよ。 冬、炬燵の上にまあるくなって、寝ていたんで御座いますって。 そして、伸をしまして、にゅっと高くなって、

          2022.4.17_2

          亀戸天神に来た。境内の藤は五分咲きで紫には遠くまだ白っぽい。 木に目を移すと自由に曲がりくねる藤の木が、お堅いグリッド状の藤棚と踊っているようでもある。思えば梅の木を好きなのも、その枝の、のたうち回る様に惹かれてだった。藤はそこからさらに一歩進んで、格子がないと自立できない、というところが抜けてて可愛らしい。 ここの太鼓橋は、てっぺんが藤棚を見下ろせる高さで、見上げる棚ではなく、ラベンダー畑のごとく藤の花畑を眼下に観れるのも亀戸天神ならでは、ではないだろうか。水面から三メ

          2022.4.17

          わたしにはどれも同じように思える。 鉄骨と植物、骨に炎、工場に夜景、元気な男と冷静な男、キリストに十字架。 そのどれもが同じかたちをしている、と言うことができるのだ。 パターン認識。一定の特徴や規則性のパターンを識別して取り出す処理が働く。 たとえばキリストに十字架。柔らかい肉体と硬い木材を素材に、支配できない動的な人間と人の手で制作された静的なオブジェとの対比がみられる。 ここには自然物と人工物、コントロールの可否を並立した、陰陽の玉めいた構図がある。 というように

          2022.4.14

          『ファンアート』 あなたは魅力的な何かに出会い、客観的な観察や解釈を書く。短いことも長いこともある。落書きのようなものが多い。しかし、ツイートほどの短い文章でも物語になる。あらゆる字数の文章が物語に転ずる可能性を小説家たちは証明してきた。今日では扱いやすい物語が必要とされる。それはおおよそiPhoneの画面をスクロールせずに読み書きできるサイズで、掌の大きさに収まる物語が必要とされた。じきに、物語を書くことが何かをよりよく知るための道具であると、広く知られるようになる。あな

          2022.4.12

          これは無数のメモを継ぎ接ぎして書かれた。そのつど考えていたことや、読んだ本、知ったこと、体験したことなどがそのまま地層のように出現する。 過去を振り返り現在から未来を見上げるような構成にしたことで、語り手は現在から動かない。思索された検討案が並ぶ。それで文章に無時間性と空間性を取り入れようとした。 * 時間的ではない物語はあるだろうか。空間的な物語はないだろうか。 制作物には時間的なものと空間的なものの二つがある。 小説は時間的で、絵画は空間的だ。写真は空間的で、映

          2022.4.7.『交換日記』 1000字小説

          これは私的な記憶の反復、あるいは未来への練習として書かれている。 * 日記にはセラピーの要素が含まれて、それは精神に少なくない効用がある。 記憶を振り返ること。それは未来に投げかけることであると同時に、ええと、まったく生産的でない(ある)。一体どちらだったか。 ただ一日にあったことを書く、日報、あるいはログ。機械的な文章がなぜ、精神の安定を導くのか、そのへんの理屈を彼は、あまり話してくれなかったのだ。 交換日記。それを手渡す人の影、放課後、駅前のカフェ。 「日記に

          2022.4.7.『交換日記』 1000字小説

          2022.4.4

          美術品めいて展示される三つの骸骨の写真。別個な物がバラバラに置いてあります。 ここにいくつかの共通するパターンを見出すことができる。パターン認識。頭蓋骨であること、インクが垂れていること。もう一歩進んで、おそらく同一の標本であること。だが同じ物ではない。異なる三つの骸骨でもある。というのも白、銀、黒の個性が「骨骨骨」の連なりを、「白骨・銀骨・黒骨」と分割しており、異なる三色が並ぶコンポジションにはリズムが生まれ、動きがあるからだ。動きとは、差異の観測にもとづくから。 であ

          2022.4.3

          無駄に大きな公共施設を建てることは箱もの政策と呼ばれ、建物を箱に見立てている。それならば商店は商品を詰めた箱、料理店は料理を詰めた箱、そして屋内に封じた庭が箱庭である。 夕飯は、新大久保で知らない国の料理。干し米に色んなおかずを混ぜて食べる。その国の中でも 高地に住む民族に伝わる郷土料理とあった。乾燥したバナナの葉を折り重ねた皿が民藝ぽかった。 新大久保は韓国だけじゃないのね。店の近くにはスマホ屋とコンビニを足して割ったような見たことないキオスクもあって、それは現地の都市部