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令和は新時代になったのか

元号が令和に改まって1年が経った。
平成最後の日は、静岡市にあるサウナの聖地「しきじ」で過ごしていた。60度にしては熱い、湿度高めの薬草風呂の中で、天皇が生まれてからそれまでを振り返る民放の特番を裸のおじさんたちと一緒にボーッと眺めていた記憶がある。

その晩、名古屋の居酒屋で飲んだくれているうちに、いつの間にか平成は過去のものになっていた。カウントダウンをするわけでもなく、自分が生まれた一つの時代が終わったことに何の感慨もなかった。

改元によって「時代が変わった」気になり、なんとなく世の中の雰囲気が刷新された。人々が気持ちを新たにし、「令和」を標榜したビジネスが活気づいた。

ニッポンでは、社会で不安や閉塞感が漂い始めても、定期的に元号が改まることで、人工的に新時代を生み出すことができる古来からのシステムがある。一つの知恵だと思う。今回の改元は生前退位という特殊なスタイルではあったものの、革命が起きたわけでも、クーデターが起きたわけでも、政権が変わるわけでもないし、誰も傷付かずに新時代の到来を感じられた。大変だったのは印刷業者とシステム関係者くらいだろう。

あれから1年。社会は変わったのだろうか?
一瞬、気持ちが前向きになっただけで、結局は何も変わっていないんじゃないか。むしろ、改元に沸いたあのころ、1年後に自由に家から出られなくなっているなんて、政府がマスク2枚を配布を決めて、自宅に届くより先に近所のスーパーにマスクが並ぶなんて、だれも考えていなかったと思う。

ところで、世の中の最も愚かなことの一つは、「前からやっているから」という理由だけで前例を踏襲することだと思う。いつの時代も、これを改めないと何にも新しくならない。政治でも、組織でも、自分自身でも。それをやめる時代にしたいよね。令和。まだ間に合うと思う。


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