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UNLOCKツアーファイナルで、僕をUNLOCKした話

2024年、7/5、7/6。
初のリトグリライブ参戦をしてきました。
今回のツアーのテーマはUNLOCK。そのテーマに即した様々な演出が盛り込まれている、という事前情報を得てワクワクしながら憧れのリトグリライブに初参戦。
が、まさか本当に、18年ものあいだ固く閉ざされた僕の人生の大きな扉が開くことになるとは。
特にファイナル、この日は間違いなく僕の人生において大きな大きな意味のある一日になったと思います。

これは僕が感じる”リトグリの素晴らしさ”の最重要ポイントでもあり、同時にそれ自体が僕の人生観でもあります。
それを閉ざしていたことに気づかせてくれたリトグリ、そしてその18年間閉じていた扉をたったの2日(おもにファイナルだから実質1日かも)で開放してくれたリトグリ。

感謝しかないし、最後まで応援し続けたいと思いました。

「僕のUNLOCKとリトグリの素晴らしさ」というテーマで書いてみます。

※なお、セミファイナル、ファイナルともに素晴らしい公演でしたが、セミファイナルは初参戦ライブで僕自身が緊張していたということもあり、主にファイナルで感動したポイントについて書きます。

ファイナルで僕に起きたこと

ライブで初めて泣きました。39歳にもなる僕が、号泣です。
感動ドラマを見ても、自身の結婚式、子供の卒業式、父親の葬儀などのみんなが涙を流すイベントでも、仕事で大変なときも、周りの人が泣く場面で泣かない僕。泣けばいいというものではありませんが、「こみ上げる」ということがありませんでした。

でも、この日、僕はこみ上げっぱなしでした。
最初にスイッチが入ったのはライブの序盤後半、「君といれば」を聴いたときでした。6人の美しいアカペラ歌唱、優しい世界観に引き込まれました。そして曲の後半、このMVがどうしても頭のなかで再生されてしまって。MV内でアサヒさんが泣くところ涙が・・・。

でも昔への回顧ばかりで終わらないのが今回この曲をやった意味だったと思います。
以前にmanakaさんが担当していた落ちサビを結海さんが少し違うテイストで仕上げてくれたのを聴き、”新しい”「君といれば」に進化したことを感じました。
正直ライブで聴くまで、「『君といれば』は第1章の5人の曲。芹奈さんのためにあるような曲なのだから、第2章ではやらなくていい」と思っていましたが、この日聴いた「君といれば」はみんなのための曲に進化していました。

そして、一番泣いたのは「好きだ。」
これはもはや他のガオラーさんからしてもよくわからない状況かもしれない。(共感してくれそうだけど)
Xで運営さんが「ファイナル2DAYSで聴きたい曲」としてアンケートを取っていたこともあり、来るだろうとは予想していました。
が、”あの”イントロがかかった瞬間、喜びの声を上げるより先に、涙がこみ上げて声はでなくなってしまったのでした。

「MASTERKEY」でも号泣でしたね。ステージが輝いていました。会場全体が湧いているとはこういうことか、と。会場全体が、その空気が曲とともに揺れ動くあのダイナミックな感覚。忘れられません。

なお、ライブのセトリはこちらにまとめてくれています。

正直、リトグリを聴いて泣いたのはこのときが初めてではありません。ライブの予習として、リトグリの歴史の復習をしようと買った「Journey幕張」のDVD。これは必ず4回涙のポイントがあります。(これはまた別にまとめます)

でも泣きっぱなし、みたいな状態になるのは初めてだったのです。

一番泣いた「好きだ。」、そのとき僕に何を思っていたのか

一番泣いた「好きだ。」このとき、僕が心のなかで叫んでいたことは「この曲が楽しくできるようになってよかった!こういうライブができるようになってよかった!」ということです。

「好きだ。」はリトグリのなかでも楽曲自体に「楽しい」感が最も含まれている曲の一つだと思っています。以前から大好きで、ライブ前にも「好きだ。-2024ver-」をよく聴いていました。

でも、僕のなかでは「好きだ。」といえば5周年ライブのこの映像。圧倒的完成度と最高に楽しそうなステージの印象が強烈すぎて、このイメージから離れられませんでした。

この曲、3人になってしまったとき、震災復興ライブで学生さんの合唱とともに歌ったこともありました。3人の時代の頑張りはどれも称賛したいし、イベント企画としても意味があるものだとは思いました。でも曲を聴いた僕の感想は正直「寂しい」と思ってしまいました。この曲はやっぱり5人、もしくは6人でやらないとあの”楽しさ”が出てこない。

リトグリにはそういう曲がいくつもあると思います。そして「好きだ。」はその代表曲と思っています。

だから、UNLOCKファイナルで聴いた「好きだ。」はこの曲の歴史に新たな1ページを見せてくれた感じがしたんです。ライブ後半だったこともあり、イントロが始まった瞬間にステージ全体が”楽しさ”にあふれていました。もしかしたら、過去1番楽しそうな「好きだ。」なんじゃないかと思うくらい、リトグリ6人の楽しんでいる、楽しめているという喜びが伝わってきました。

3人になってしまったときに諦めなくてよかった

この言葉の結果、その2年後である今を象徴的に表したようなシーンに、僕は涙が止まりませんでした。

UNLOCKファイナルの「好きだ。」が映像化されたら、5周年の最高な「好きだ。」と並んで、最高の「好きだ。」になるのだろうと楽しみにしています。

僕自身の扉はなんだったのか

18年間閉ざしていた、僕の大切な扉。
それは「音楽を共に作るメンバーの愛おしさ」という扉です。

先日、職場の後輩に「リトグリのどこが好きですか?推しポイントは?」と質問されたのですが、僕は「生き方、価値観、そしてその歴史」と答えました。

少し大きい話になりますが、2024年現在、日本の音楽シーンはとてもハイレベルなものになっていると思います。King Gnu、Mrs. Green Apple、Official髭男dism、Ado、YOASOBIなどなど、他にも数え切れないほどの実力派アーティストがひしめき、それぞれが非常にハイレベル。そしてどのバンド、どのアーティストにも大切な価値観や感動的な歴史があるでしょう。

そんななかで、リトグリのそれは僕の過去に鋭く刺さったアーティストだと言えます。そして、応援し続けるだけの実力、アーティスト性、ポテンシャル、成長への期待が詰まっています。

ここからはとても個人的な話ですが・・・

僕は学生時代最後の2年の時を、自分の大学のビッグバンドに注ぎ込みました。コンサートマスターを務め、必死に音楽を作る日々でした。

そこで大切にしていたのは「バンドメンバーの大切さ」です。

かれんはJourney幕張のMCで言ってました。
「ハーモニーもアカペラも続けていきたい」って。

僕はこのメッセージ、決して希望だけを表しているメッセージではないと受け取りました。
「3人じゃもう、それはできないんです」という敗北宣言のような、そういう寂しさや無力感、やるせなさを感じました。でもそれを希望のメッセージにしてくれたのは紛れもない3人の力強さでした。

ビッグバンドも同じ。
17人いないとできないんです。
その形態で届ける音楽の素晴らしさは、人が揃っていてこそ伝えられるんです。

僕がやっていたバンドも、一時期はメンバーが集まらなくて、エキストラ頼みになっていたときがありました。人がいない苦しみ。絶望。

3人になってしまったときに諦めなくてよかった

だから、そこに集まってくれたメンバーがどれだけ尊いことか。
この言葉がどれだけ”リトグリの音楽”の真理を表しているか。

当時、僕のビックバンドでは必死にメンバーを集め、ありがたいことにたくさんの人が集まってくれました。「このメンバーとともに歩めば僕らがやりたい音楽が形にできる」、そう本気で信じて、最初は楽器の扱い方もわからなかった彼ら、彼女たちと毎日のように一緒に練習し続けました。鬼のように怒ったときもありました。一生懸命について来てくれるメンバーを泣かせてしまったこともありました。ときには外から来たプロミュージシャンにそんな大切な仲間たちをバカにされて、大喧嘩したこともありました。

子供だった でも本気だった
小さな胸に宿した勇気が今も

MASTERKEY

それでもついてきてくれたバンドメンバーが、18年経った今でも僕の人生の誇りです。

でも、そんなに大切にしていたはずなのに。
仕事、家庭で忙しくしている間に僕はこの大事にしていたものをどこかに閉ざしっぱなしにしていたみたいです。


MAYUはUNLOCKファイナルの最後のメンバー紹介で、”まだ”こんなことを言ってました。
3人に出会えてよかったです、と。
もう加入から1年半以上も経っているというのに。

この言葉がリトグリ第2章の生き様であり、人生観であり、音楽観であるように感じます。

miyouはオーディションの最終選考でこのように語っていました。

グループでやることの強さだったり、グループでしかできないこと、この魅力っていうのを本当に近くにいるだけで、一緒に歌えるだけで、胸にたくさんくれました。

UNLOCKファイナルという”MASTERKEY”は、僕がかつて最も大切にしていたこと、その思い出の扉を、優しく一緒に開けてくれました。

だから、感動で涙が止まらなかった。

僕はこの日を一生忘れません。


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