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何がなんでも続けるのだ

久しぶりにぐっすりと眠った。
昨日は午後の2時まで泥のように眠った。
どれだけぶりだろう。心身ともに疲れていたの
だと、休みの時間を使ってしまった自分を慰め
た。確かに“あの日”からずっと緊張の連続
だった
から、なんとなく一息ついた感じになっ
たのではないか。毎日、何かしら目に見えない
プレッシャーがあって、自由なのに自由でない
自分がそこにあった。
はたして時間というもの
を、改めて感じることになった。

自由とは何か。

自分にとっては“時間”を自分の意志で決める
ことができること。毎日、決められた時間に
起き、電車に乗り、そして業務をこなす。
この繰り返しが苦痛だ。たいていの人も
そうだと思うが、不思議なことに自由になる
とそれもまた逆の意味で苦痛になってくる。

それはやることがないことだ。

やることがなく自由になる時間は、
その手持ち無沙汰からものすごく無意味な
時間のように感じられる。誰かが指図する
わけでもなく、自由にしていいんだよ、
というのに、なぜか後ろめたさを感じて
しまう。

確かにそれがなければただの怠慢になって
しまうのかもしれないが、いや、そういう
時にこそ、自分のために使うべきなんだ、
と言い聞かせる。たぶん、働いていた女性が、
結婚や妊娠で会社を退社して、自宅で過ごす
時間にも似た感じなのかもしれない。
ものすごくブルーなのがわかる気がする。
社会から必要とされていないような気まで
してくるから、この思い込みは結構、大きな
問題だ。

かくいう私もそういう状況になっているのだ
が、少し違うのは、“書く”ことを使命に感じ
始めたからかな。別に何かの賞を狙っている
わけではないが、自分で勝手に文章を書き続
けることを課題にしたら、黙々と続く作業が
とても大切なものに思えてきた。ただ自分の
思うがままを書き連ねるだけの私的なものな
のに、一日でも欠かせば落ち込むことになる。

そして、そのために割いている時間は、
ものすごく貴重な気がしてならない。


どこに行こうが、何をしようが書くことを
やめては自分の時間を埋めることはできない。
その合間に仕事をする感覚だから、
この快感は当分、続きそう。

いや、何がなんでも続けるのだ。

たぶん人間は時間を支配しているように思い
ながら、結局、一日24時間のサイクルの中に
行動をはめ込んでいかなければならず、
それが狂いだすと、私的なものを圧縮して
調整しようとする。そしていつも不満は
“忙しい”になってしまう。

今の自分の活動を客観的に見れば、会社に
いたころの仕事量と同じくらいなのに、
自分のために使う時間はもちろん、本を読み、
さらにぼーっとする時間まで手に入れた。
この先の不安なんてどれだけ考えても同じ
だから、考えるよりもまず行動していくことを
心がけたら、すぐに自分の時間がやってきた。

多少、いままでの価値観が残っているから、
ぼけーっとしている自分にプレッシャーを
かけることもあるが、そういう時間がある
だけで、企画書を書いたりする集中力は
格段に高まった気がしている。

しかし身体は正直だ。時間のサイクルを変えて
いくことは難しい。少しずつ自分にあったサイ
クルを掴んで、そのなかで最高のものを作り上
げる力をつけていきたい。今回の昼まで寝たこ
とは、まだ自分の時間に無理をしている証拠だ
と思っている。もっと無理ではなく、ムダのな
い時間の使い方を探しだし、これもまた書き物
のネタにしていくどん欲さを身に付けたい。

* * *

書くことに、ここまでこだわっていたとは、
そこまでの熱意で向き合っていたとは驚いた。

もう少し歳を取れば、それなりの時間と
それなりのやり方で、できるようになるが
これが若さってやつなんだろうな。

お金のことや時間のことなど
人生の中で一番考えなければならないことを
30代で向き合うことができたのは
不自由で、自由な時間たちのおかげだろう。

これで40代が
いかに落ち着いて
過ごすことができたか。

そして
50代で自信を持って
自分の信念を貫くことができたかを
お伝えしたい。

今は苦しいかもしれないが
その後の自分の人生を
ジブンらしく生きるために
神様から試されているのだと
思って欲しい。

2002/06/02Sun
#あの頃のジブン |19

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