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誰でもない世界でひとりの人間になる

ああ、今日も一日終わった。充実感とも疲労感ともいえない、ほんわかした気持ちでいる。懸案だったプロジェクトも何とか形になりそうで、業務委託契約者としては少し安心した。あとはどうディレクションしていくか、が求められるので、その準備だけはしておかなければならない。

さて、こんなふうに普通に仕事をして暮らしている現実が、なかなか自分のなかで完全に理解できていない状況だ。ネットベンチャーに参加する前と、なんら変わらない周囲の状況にただただ驚き、そして心から感謝する毎日だ。私と一緒に仕事をすることを喜んでくれる人がいて、それに微力ながら協力できることの喜び…。少しの間忘れていた仕事の質的な充実感がそこにある。

果たして夢だったのか。この2年間を振り返ると、何か時間が止まり、私の何かが昇華してふたたび舞い戻ったような、そんな都合のよい状況がここにある。いやもしかするとこれは罠なのかもしれない。巧妙に仕組まれただましであって、私の周りには何もないのが事実かもしれない。そんな見えない恐怖を想像するほど、順調な毎日だ。

将来に対する不安はある。果たして年を取ってから暮らしていけるのだろうか。そんなこと考えるより、毎日、一生懸命やっていくことが、その不安を取り除く最大の方法だということもわかっている。それくらい“来るなら来やがれ”という感じの精神状態でもある。キーボードを叩くたび、その軽やかなリズムが心地よく心に響き、より一層、自分に活力を与えてくれるようだ。

人間の心のリフレッシュとは、まさに新しい生活、価値観、そして人との出会いがあるわけだが、それがすべて未知のものでなくてもよい。例えば、何年も会っていない友人との再会だったり、かつては同じ組織のなかで働いていた人間との旧交を温めたりすることも、同様の効果を発揮すると感じている。

来週、そういう会がある。この年になっても、心がわくわくする出会いがあるということは、本当にうれしいものだ。もしかすると、もう二度と会わなくなってしまっても仕方がないかもしれない。こうして家庭を持って、仕事に追われて過ごしていれば、自分のことよりも最大公約数が生活の中心になっていくからだ。これもすべて自分で判断して人生を歩み、ここにたどり着いたことを、神様が見ていてくださったのかもしれない、などと無宗教の私が言うぐらいだから、その出会いがいまの私にとってどれだけ大切なものかわかってもらえると思う。

あらゆる人にとって、一時、一瞬、そこで過ごした、経験したことがすべて未来につながっていくことを、自分の身をもって体験した私は、ある意味、これからの人生に変な期待もしない代わりに、自分の過ごしてきた時間の重みを大切にしていくことだろう。

毎日、とにかく愚直に、そして素直に、喜び、怒り、悲しんでいこう。例えどんなことになっても、そして誰がどうなっても、自分の価値観やものの考え方を貫こう。そして、誰でもない、世界でひとりの人間となって、自分で自分を誇らしく思えるようにしたい。それくらい今の私は幸せだ。こうしていられることに感謝の言葉もない。

それならば、と自分に問いかける。明日はいったい何をするつもりだ、と。きっと私は答える。たぶん、昨日と同じように息をし、歩き、話をして、そして、笑うだろう、と。まるで禅問答だ。同じようでありながら、気がつけば全く新しい世界を生みだす作業がそこにある。そうだ、続けることだ。ただただまっすぐに続けていくことが新しい何かを作り出すエネルギーに変わる。だから明日も、またひとつづつ、大切にしながら生きていこうという力になるのだ。

* ****

当時一発狙いで関わった
ネットベンチャー企業を離れてから
以前から付き合いのあった業者さんが
声を掛けてくれた。

ちゃんとした説明もしないで
離れていった私を
また受け容れてくれた彼らに
言葉もなかった。

以前書いたように
私には故郷という場所がない。
流れ流れて17回も引越しをして
その都度新しいコミュニティに
新たな住人として受け容れてもらってきた。

だから
新顔扱いには慣れているが
出戻り顔は初めての経験だ。
ただただ感謝しかなかった。

だがこの後
また彼らから離れることになる。
なんとなく予感はしていた。
本文では殊勝なことを述べながら
そのコミュニティに物足りなさを
感じていたのは否定できない。


なぜならタイトル通り
誰でもない世界でひとりの人間になる
それが人生の目標だったから。

安定しているが
ある程度先が見えている世界は
私を刺激する世界ではないことを
知っていたから。

こういう人間をどう思うかではなく
こういう人間もいるということを
みなさんにも知ってほしいと思う。

#あの頃のジブン |25

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