やり続けてきた先に見ることができた風景
最近、自分のことをようやく客観的に見られるようになった、と実感できるようになった。それは、自分に関する出来事が起こるたびに、これは自分のせいだと思うようになったことだ。
いきなり勝手な思い込みのように思われるかもしれないが、何となくそう思うことが多くなった。簡単に言えば、人のせいにしなくなったということに過ぎない。つまり、いままで他人事のようにしてきた自分のスタンスを、できるだけ当事者の気持ちになって考えられるようになった、というわけだ。なぜ、そんな風になったかと考えると、あまりにも自分だけが崇高で、周りがあほらしく思えるほど人間は勝手な生き物であり、ゴミを捨てようが、排気ガスを出そうが環境問題を自分のせいだとは思っていない、ということがわかってしまったからだ。なんと、これは大変なことになってしまう、と。遅ればせながら、40歳の声を聞く前に自分なりに目覚め、そして意識し始めた、というわけだ。
そういえば先日、加藤博史さん(だったと思う)という方が、北朝鮮から逃げてきた人たち。いわゆる脱北者を組織的に中国にある外国の領事館などに逃げ込む手助けをしている、という疑いで、中国の安全局に拘束された事件があった。
彼はNPOとして、北朝鮮からの脱北者たちや北朝鮮で寒さと飢えに苦しんでいる人たちに食料や衣服などを支援している方だった。一週間におよぶ拘束のなかで取り調べを受け(世界的認識では拷問)、しかも北朝鮮の特別警察に引き渡す、という脅しまで受けている。その中国の対応や北朝鮮の問題についてはここでは触れないが、つまり、加藤氏にとって、その活動は何のための活動なのか、を考えさせられた。ばく大な見返りがあるわけではなく、しかも命の危険を冒してまでも「援助が必要な人が入れば、私たちは援助の手を差し伸べる」と言っている彼の生き方のスタンスは何が“原動力”になっているというのだ。ストイックなどという生易しいものではない。人間は平穏な生活を願い、衣食住に不安がないように働き続ける。そのレベルで物事を考えているとは到底考えられない。そこで出てきたのが“自分のせい”理論だ。
つまり、自分が何もしないからといって、何も罪が無いわけではない。自分なりに考えて、行動して、はじめてプラスマイナスゼロになるのだ、そう考えない限り、どうしても理解ができない。いや、これは私の勝手な思い込みかも知れないが、加藤さんの凛とした姿勢はこの私にもその意志に強さが理解できた
どうしたらそんなことができるのか。そう考えたときに、逆説にはなるが、まず人のせいにしないことから始めようと思い立った。そのかわり、自分の好きなことだけをやることにした。いままで妥協したり、他人の顔色を伺っていたことを辞めた。そうしないと、自分のせいにすることが本心と反対になってしまうからだ。
そしてひとりになっても、迷わずに前を見て進むことだ。どうせ一度の人生である。好きなことやって、自分の思う道を進み、決して逃げずに生きていく。これは北朝鮮によるら致事件の家族会事務局長・蓮池透氏にも共通した意志の強さ、凛とした姿勢である。今回の歴史的事件によって、日本人としてさまざまな決断を突きつけられるこの状況において、いかに毅然としていられるかが、人間の“質”を決めるのだと理解できた。いままでのような、何かちっぽけなこと悩むのではなく、どんなときも自分が背負ってやるくらいの勢いこそ必要だし、そのための決意が求められると思う。
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これが37歳の最後のコラムになった。
ここからの顛末は当たり前だがよく知っており
姿のない誰かに語りかける時間が
具体的な形になっていくことになる。
おおよそ100本近く書き連ねた原稿は
当時の私にとってはかけがえの無い
修行の場だった。
誰から答えを与えられるものではないし
自分で何かを見つけられる保証もない。
ただ今の私が読み返してみると
これからの生き方に一定程度
いや大きな影響を与えたことは間違いない。
上手くいっても悪くなっても
どちらにしろ心が休まることはなかったはず。
むしろ押し寄せてくる将来への不安で
押しつぶされてしまいそうに
なっていただろうに。
これからの20年間は
100本近いコラムを少しずつ具現化して
検証しながら価値観を育ててきた気がする。
よくやったね。
そうは言いたくない気持ちが強い。
よくやり続けたね。
そう言うべきだと思う。
#あの頃のジブン |74
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