自分の存在をゼロにするギリギリ線
ときどき、自分のいる場所がどのあたりか、知りたくなるときがある。人生の崖っぷちにいるのか、それともまだハーフウェイなのか…。映画やテレビの番組でよくやる“先に止まったほうが負け”という競争、えっと何といったっけ?チキンレース?いやそんな言葉は辞書にはなかった。つまり強さを誇示するために、競争相手と危険な賭けをするときに、ぎりぎりどこまでできるかの我慢比べをするゲームだ。そういう状況というわけではないが、まだ落ちずにいられる、という自信がなくなるときがある。
たいてい一生懸命やっていても、先が見えなくなるときにそういう気持ちになるのだが、立ち直りも早い。そんな行ったり来たりの揺れ動く自分の気持ちが腹立たしい。えーい、もっとどしっと構えんか!と自分で自分に喝を入れてみても、なかなか安定しない。以前、漠然とした不安を感じるのはやめようと書いたことがあるが、現在、あと数ヶ月は食べていけるお金を持っていても、すぐにその先の月を数えているときがある。
そこでひとつ思いついたのが、どうせなら自分の人生のぎりぎりまで行って、その状況を見てみようということだ。よくこれだけしかない、ではなく、まだこんなにある、と考えよ、という教えがあるが、それよりももっと、そこまでいったらだめ、というラインだ。どうしても人間は、一度自分で築いたものをゼロにすることができず、守ろうとする防衛本能が働く。そこを一度、乗り越えてみたい。
決して浪費しようというわけではなく、いついつまでに、残り少ない資産を自分や家族のために投資して、一か八かの賭けをしたいと思っている。いや言葉を間違えました。一か八かではなく、あくまでも目的をもった投資案件だ。いまはどちらかとういうと、以前のフリー時代や会社員時代と状況はあまり変わりなく、日々生活のために奔走しているだけで、仕事そのものに自信と誇りをもってやっているとは言い難い。
それよりも自分やかみさんのやってきたことの集大成を形にする行動に出るしかないと判断した。具体的には塾経営。しかもかみさんは書写教室を、私は文章、コピー、企画書教室を開き、それで食っていく方法を探るということだ。どちらも自分のやってきたことを、誰かに伝えたい気持ちから始まったことで、何か具体的なビジネスチャンスがあってのことではない。あくまでも生きていく術をそこに求め、同時に食べていけるならいいと考えている。
いままでは思うだけで、なかなか具体的な形にならなかったが、今回は違う。仕事をしていても襲ってくる不安。それは単にお金のことだけではなく、自分の存在意義はどこにあるのかわからなくなる不安のほうが大きい。実際にコラボレーションのかたちも、やはり個人それぞれの方向に流れているし、すべてがしっくりこなくなっていることも事実だ。このままじり貧になっていくよりも早く、自分の意志で行動するほうがいい、と判断した。あとどれだけある、とか、今月はこれで乗り切ろうではなく、足していくために具体的な形を求めたい。
なんとなく今日はコラムというよりも宣言に近くなってしまった。許して欲しい。不安を勇気に変えて、これから自分や家族のためにがんばってみたいと思う。守って守って守り抜いてきた個人事業から、攻めて攻めて攻めまくる私自身の存在感をアピールすることからはじめていきたい。書くこと、そして教えること、それだけをまっすぐに見て、できるだけよそ見をしないで突っ走ってみたい。
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1996年から個人事業を始めて
1999年からネットベンチャーに参画し
2002年から塾経営に乗り出そうといている。
結果からいえば
上手く行かなかった。
要するに
ニーズを自分で作り出すことが
どれだけ大変なことかを実感させられたのだ。
カミさんを巻き込んでしまって
今でも申し訳ないと思っている。
私が考えていることなんか
世の中に必要としている人はいないし
必要なように創り出す
狡猾さもジブンにはなかった。
いい勉強をした。
自分の能力の限界も十分に分かった。
ただ
普通ならこれでお終いにして
会社員にでも戻って暮らすことを
考えるものだろうが
それならニーズのあるところに行って
自分のコンテンツを発信しようと
考えるところがジブンらしい。
これからの展開が気になるでしょ?
このシリーズを読み続けていただければ
ことの顛末が分かりますので
もうしばらくお付き合いくださいますよう
お願いします🤲
#あの頃のジブン |27
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