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作りたいものがたくさんあって時間もあるのにどうして一つも完成しないんだろう

「にんげんだもの」といってしまえばそれで終いなんだけどね。

時間があるのに作りたいものが作れない。毎日、朝(厳密には昼)に起きて作業を始めるんだけど、夕方くらいから急に手が動かなくなって、もう今日は進めなくてもいいかという気持ちになる。人はこれを「疲れている」と表現するのかもしれないけど、それとは少し違う。頭はまだはっきり動いていて、でも熱量だけがどこかへ飛んでいってしまった。そんな状態だ。

「本当にそれ作りたいの?」そんな疑問が頭に浮かんだ。ふむ。頭と手が止まってしまうところを見るに、どうやら本当に作りたいものではないのかもしれない。

じゃあ人が本当に作りたいものってなんなんだろう。それは人によって違うはずだ。自分から湧き出てくる表現したいものか、世の中に出したら面白そうな気がするものか、それともお金を稼げそうなものか。いろんなパターンが考えられる。

僕が作りたいものは、世の中に出したら面白そうなものだろうか。それともお金が稼げそうなものだろうか。いや、このどちらでもない。何をやったって無意味なんだから。じゃあ、自分からなにか湧き出てきてそれを表現しないと居ても立ってもいられないものだろうか。これでもない。それは今まで生きてきて何も残していないことが証明している。

ここまで考えたところでピンときた。ああ、そうか、本当に作りたいものなんてないんだ。作りたいものがたくさんあるんだけど、そのどれもが必ず作りたいものではない。

じゃあ、なにが僕を動かしているのか。これは簡単だ。「知りたい」という欲求だ。僕のなかでは「作りたい」よりも「知りたい」が先行しているんだ。なにかものを作る過程を知りたかったり、知る過程を効率化するためのものを作りたかったりするんだ。うんうん。スッキリしてきた。

こうなると僕の残りの人生でやることはハッキリする。知識の海を旅する。そして、そこで得た知識を伝えることで生活をしていく。それだ。それがきっと「答え」だ。