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【しらなみのかげ】 しらなみのかげ #1


今日から、noteに毎日何か記事を書くことにした。
と言っても、私は夜型の人間なので、日付毎に「毎日1本」にはならないかも知れない。昼に起きて日付が回った翌日の明け方などに寝る日や、もっと悪いことに夕方に起きてしまい翌日の朝に寝る日もある。それ故、日付で見ると投稿が無い日が出来てしまい、前日か翌日に2本投稿がなされていることもあるだろう。その点については御寛恕頂きたい。


その為に、新しいマガジンを立ち上げた。
表題を「しらなみのかげ」とする。


海というのは、絶え間無くその表情を変える。その波はどんなに凪いだとしても一瞬も止まることはない。朝昼の日影は勿論だが、夜もまた月影や星影を受けて、その光を反射しながら刻一刻と揺らめかせる。人類が誕生するずっと前から海は、このように形を成してはすぐさま壊れて、また異なる形を成していくということを絶えることなく繰り返しているのである。その白波の下には、踊る波を水底に映す浅いところもあれば、紺碧の世界が広がっている深いところもあり、更に深い所には、一筋の光をも通さない漆黒の闇が全てを支配する深淵もある。しかし全ては同じ海として繋がっているのである。我々は、その海のほんの表層しか知らない。潜水艦にでも乗らない限りは、その表層で絶え間無く波打つ水の影を見るのみであり、潜ったとしても精々の所、網目の如き波の影の差す蒼の世界に遊泳する魚群や浮遊する海月を見るのみである。


我々の心の世界もまた、この大海のようなものではないか、と思う。
その奥底は、深海の如く深く、そして昏いものである。にも拘らず、心の世界においても、我々は果てしなく広がる大海原から浦に寄せてくる白波の影を見るばかりである。そして、その刻々と変貌する形を捕まえることは難しい。しかし私は、「しらなみのかげ」だけでも捉えようと思う。時には激しく、時には微かな、その千変万化を捉えて言葉に乗せようと思う。


折り重なって崩れて泡になり、乱れては消えて行く心の海の波を、その都度凝結させて、言葉にする。これは殆ど私自身の為のものである。つまりこの「しらなみのかげ」は或る意味で極私的な手帖であり、その渺茫たる滄溟の航海日記である。どんなに短くても良いし、何でもいいから、これを一日一回書いてみることにした。


この雑文集「しらなみのかげ」に、一種の擬古文で序を付けてみた。書き上げるのに中々時間が掛かったが、こういう普段やらないことを敢えてやってみるのは楽しい。心を乗せて言葉を遊ばせるのも、また大事な営みである。


こは、日々つらつらと念ひしことのとみに濫れてはすぎゆくに、浦によする沖つ白波の八重をりて、ささなみの下にあまたうたかたの浮かぶがごとく、そのかたちの成りては千々に消えゆくさまを、よろづことのはのうちにひたぶるに拾ひおきて、唯かき記さむとするものなり。つぎつぎ惟ひの流るる心の、ふとたまゆらに清く澄みわたりたる折こそ、生ふることのはの露、おのづからあしたには日影をあつめ、夜には月影をあつめ、かそけきものをもあまねくうつして、やがて花もさきにほひて、いとあはれなれば、うつせみの世の人のみならず、たふとき神すらものに感じておとづるる時なれ。

(この文章はこれで終わりですが、投げ銭方式となっております。)

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