「反動的新体制」の可能性−柳澤健『葡萄牙のサラザール』を読んで

 ここに柳澤健『葡萄牙のサラザール』という本がある。昭和16年(1941年)に改造社から刊行された書物である。これは或る時の古本まつりでベニヤ板の台の上に並べられた書物を渉猟している時、偶然に見付けたものだ。サラザールについて書かれた本が戦前に出ていたのかと非常な興味を抱き、その場で即座に購入した。200円であったと記憶している。巻末には附録としてサラザールの語録(齋藤太郎訳)が付いている。サラザールの横顔を写した写真とサインの後に、近衛文麿がものした序文があって、本文の劈頭には外交評論家ジャック・バンヴィルと文学者のポール・ヴァレリーがサラザールに捧げた賛が掲げられている。

 著者柳澤健(やなぎさわたけし, 1889-1953)は会津出身の外交官である。ポルトガルの他にも、フランス、スウェーデン、メキシコ、イタリアに勤務していたこともある。調べてみるととても面白い人物で、島崎藤村、三木露風に師事して詩人としても活動したり日本ペンクラブの創設に携わったりといった事績も持つ文人外交官である。外務省においても文化事業に主に関わり、退官後には日泰文化会館館長を勤めて日本とタイの文化交流に尽力している。本書は、この柳澤がポルトガル公使館の書記官を務めた後、帰朝して書いたものである。因みに、柳澤は駐在中にサラザールに直接面会し、その真率で質実な印象を伝えている。

 巷にはサラザールの名を知らぬ人も多いだろう。アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール(1889-1970)は、ポルトガルの独裁者であった。すなわち彼は、1932年から1968年に亘って首相として、「エスタド・ノヴォ」(ポルトガル語で「新しい国家」の意)と呼ばれるファシズム的な権威主義体制を指導した人物である。スペインにおいて長きに亘ってファシズム体制を維持したフランシスコ・フランコ(1892-1975)と同様、サラザールもまた第二次大戦中に連合国寄りの中立国として振る舞い、その後も西側諸国に属しながら独裁者として君臨した。彼の率いたエスタド・ノヴォは、「神、祖国、そして家族」という標語から判るように、カトリックを基礎にしたパターナリスティックな体制であった。

 彼は独裁者としては非常に珍しい人物である。何と言っても、彼は初めから自ら権力者になりたくてなった訳ではなかったのだ。コインブラ大学の政治経済学の教授だった彼は、それまで何度も政府から大臣への就任を依頼されていたのに断っている。また、一度は下院議員になったにも拘らず一日で辞職してもいる。全く独裁者然としていない話である。彼が実際に権力を握ることになったのは、1926年のクーデタ後にメンデス・カベサダス、マヌエル・ダ・コスタ元帥の後を襲って大統領になったカルモナ将軍に乞われ、1928年に大蔵大臣、次いで1932年に首相となってからなのだ。この地位に就いて彼は、反国際主義的に、反自由主義的に、反民主主義的に、反議会主義的に全権を掌握し、疲弊し切っていたポルトガル国家の財政と国民経済を復興させた−それはまさに「反動的新体制」とでも言うべきものだった。

 曾て、最早否定され切ったように見える二つの独裁的な思潮が、まさに次なる歴史を切り拓く道であった。現代では考えられないことかも知れないが、戦間期の欧州において国際共産主義とファシズムという左右の過激主義は、「文明の没落と危機」を乗り越えるための希望であり、真剣なる解答であったのだ。戦間期という「政治の季節」は、これら二つに反独裁的な自由主義を加えた三つの勢力が三つ巴になって鬩ぎ合いを繰り広げた時代であった。その中でサラザールの体制は、独裁や国家主導の組合主義という点においてはファシズムには近いものの、職能別の中間共同体や宗教を重んずる点でファシズムと同一とも言えぬ独特の立ち位置を持っていた。

  因みに本書『葡萄牙のサラザール』が刊行された1941年といえば、日本においても近衛文麿首相の元で新体制運動(国家総動員法や大政翼賛会など)が進められた1940年の翌年である。近衛は柳澤の知己だったこともあり、本書の序文を書いている。刊行日は1941年12月11日で、丁度日米開戦の数日後に江湖に送り出された形となっている。近代の軋みが遂に全世界で血を以って清算へと向かっていったその時に、ファシズム体制でありながらも戦の蚊帳の外へと逃げ切ったサラザールのポルトガルを賞賛しているというのは因果なものである。

 本稿では上述の書物を頼りにしてサラザールの伝記、そして政策と思想を概観しながら、その「反動的新体制」が持つ可能性について考えて見たい。恐らくやこの考察は現代の政治体制においては考えられ得ない、今や考えることが禁じられている選択肢を提示するであろう。しかし、我々は極限を考えなければならない。何となれば、我々の世紀もまた曾てと同じく没落と危機の時代を迎えつつあるのだから。ここに再び、一つの過激なる可能性が探られねばならないのだ。

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