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後期がやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!

 実にキツイ9月だった。A Hard Day's NightというよりA Hard Day's Monthだった。色々と延期になっていたものが全て押し寄せてきただけでなく、それらを後期に持ち超さないために全てを9月30日までに終わらせる、そんな使命をおびた9月だった。コロナが収まっている今がチャンスとばかりに、アホみたいにスケジュールが積み上げられていく。アホみたいに資料を作っても作っても終わらない。おまけに、とある学会の仕事を引き受けて、その雑用が膨大に入ってくる(それは今も続いている)。オンライン会議と講義をハシゴする。今月は実に1秒も自分の実験を出来なかった。とにかく働いた。ビートルズの歌詞に習えば「犬のように働いた」1ヶ月だ。

 前期の最後の講義(3日連続の集中講義)を終えた日、笑顔で学生に手を振ってZOOMを閉じた後、全ての疲れが一斉にやってきて体がグッタリと鉛のように重くなり、デスクでぼーっとしていた。流石に事務の方から「見るからに疲れているように見えるので、帰ってしっかり休んだ方が良いのでは?」と声をかけられた。どちらかといえば、私はいつも「あいかわらず元気ですねぇ」と煙たがられることが多い方なので、珍しいこともあるものだと思ったが、それぐらい周りからみても疲れていたのだろう。本当にハードな9月だった。 I should be sleeping like a log だ。講義を終えた日は素直に早めに帰宅して、酒を軽く飲んで丸太の様に眠った。

 翌朝の昼前に目が覚めて丸太から人間に戻ると、思い立って妻から許可を貰って、馴染みのキャンプ場に電話をした。まだ空きがあることを確認して、ソロキャンプ用の道具を適当に積み込んで出発した。丸太の用に眠ったので、今度は薪を燃やすのだ。料理なんてする気は全くおきないので、途中のスーパーで総菜を買い込んだ。牡蠣フライ、タコ刺し、サラダ、寿司、カシューナッツ、チーズ、サバ缶、漬け物、こういう時はどこのスーパーでも売ってそうなものでいい。キャンプ場について管理人のおじさんに「今日は一人?」と聞かれつつチェックインする。薪を購入しながら、そういえば子供に伝えてないな(起きた時にはもう居なかった)と思ったが、もう遅い。フリーサイトの隅っこにテントと焚き火台だけの簡素な居住空間を立ち上げて、総菜を食べながら、ただひたすらにビールを飲んでゴロゴロしていた。夕方には焚火を始める。ぶっとい薪が多いのと、自分の焚き火台が小さいので薪割りだけはして、少し体を動かした気になる。買ってきたビールがなくなったら奮発して買っておいたちょっといいウィスキーを飲み始める。途中で携帯が一度鳴ったが無視した。そうやって翌日の昼まで、のんびりと過ごした。

 気候も良かったので周りは家族連れが多かった。誰も使用しない端っこの狭くて不便な場所を利用していたとはいえ、派手な色の山岳テントの前で寝っ転がるおっさんは相当に異質な存在だったに違いない。しかも周りに転がる空き缶の量からすれば「アル中っぽいおじさん」に見えただろう。実に申し訳ありませんでした。でも、おかげで精神的なメンテが出来ました。

 キャンプ場でキャッキャ・ワイワイと騒ぐ家族連れを尻目に、一人で酒をやりながら、この半年間のことをずーっと考えていた。前期の講義を全て終えてやや感傷的だったのかも知れない。もちろん、まだ終わっていない事象なのだから総括じゃない。Hard Days はまだ暫く続きそうだ。しかし、この先は足を完全に止めない分だけスケジュール的な日常は戻ってくるのではないかと期待をしている。何もかも「何も決まっていないままとりあえず延期」という不確定な決定(何も決まっていないことを決定する、という矛盾)が減り、中止するものは中止出来るようになっている。判断材料も、代替作戦も整ったうえで、コロナ前提のスケジュールが組み上がっていけば、対処の仕方もあるだろう。年度末のスケジュールだってきっと回せる、そう思っていくしか救いはない。怖いのは「状況が良くなって出来るようだったらやろう」というこれまでとは逆方向の不確定な決定が舞い込んでくることか。某先生とか、そういうこと言い出しそうだなーと考えて憂鬱になる。ウイスキーを注ぐ。こういう時は濃い方がいい。

 トイレの帰り道にふと炊事場に目をやると、全員がきちんとマスクをして洗い物をしている家族がいた(炊事棟にマスク着用の注意書きはあるが、オープンエアーの環境ということもあるのだろう。厳密に守っている人は少なかった)。こうやってマスクは永遠のマストな装備品になるのだろう。かつての日常は消え、誰もがマスクをしながら仕事をするという日常は最早変わらないだろう。キャンプだってみんなマスクをしながらになるくらいだ。テレビで「マスクをせずに集合している人達の写真」はきっと「昭和/平成を感じる」とか言われる時代が来るのだ。ランドセルにマスク専用のぶら下げるパーツが付くに違いない。え?昔ってマスクなしで飛行機とか電車とか乗れたの?マスクなしで仕事してたの?授業中でもマスクしてなかったの?信じられない!!と孫とか親戚の子供とかに聞かれるのだ。マスクどころか飛行機でタバコが吸えたんだぞ、とジジイになった自分は自慢するのだろう。そうやって常識は何度も何度も塗り替えられていく、そんなことを酔っ払った頭で止め処なく考えていた。

 この半年間、様々な制限をかけられる学生達に私は繰り返して言ってきたことがある。この出来事はしっかり記憶に留めておいた方がよいと。いつか貴方達の子供や親戚の子供に「父さん/母さんが大学生だった頃は新型コロナウイルスで大変だった」と語ることになる。子供が使用する教科書にも載るだろう。だからこの一連の出来事やそれに付随する感情はしっかりと記憶に留めた方がよいよ、と繰り返した。この半年に行われたあらゆる判断が正しかったかどうかなんて、今は分からないのだ。学生達が結婚して子供が出来て、子供と話せるようになった頃には、笑い話になっているかもしれないし、あの判断はどうだったかといった検証もされるだろう。だから今あれやこれや言ってもどうしようもない。ただ、自分でしたジャッジと、それにまつわる感情は若い学生さん達の役に立つはずだ。そう考えていた。

 地下鉄サリン事件も、東日本大震災も、911も、それに続くイスラム国問題も、今もなお苦しんでおられる方々がたくさんいる大きな大きな事件だが、私は当事者の外側だった。当時のことは全て思い出せる。どこで何をしていたかもセットで思い出せる。思い出してみれば、相当に複雑な感情を抱いて、それなりのアクションをしていたが、やはり私は当事者の外だった。安全圏にいた。でも今回の新型コロナウイルス騒ぎは、子供から大人まで誰もが何らかの形で巻き込まれた当事者だ。もちろん、医療従事者と比べれば、私の巻き込まれ具合など屁みたいなものだろう。それでも巻き込まれた当事者としての色んな感情をしっかりと記憶に留めておきたいとやけに強く考えた。そうして私は老害ジジイとして、この時代を知らない方達に語るのだ。小学校の時の担任がギターで「戦争を知らない子供達」を熱唱していたのを思い出した。懐かしい。あの先生は今も存命だろうか?私も「新型コロナを知らない子供達」を謳うのだろうか。歴史は繰り返す。そんなことをぼーっと酔っぱらった頭で考えていた。所詮は酔っ払いだ。たいした思考もしていない。

 あと数日で後期がやってくる。後期が終われば新学期がやってくる。目の前のことを一つずつ、多面的かつパラレルに、華麗に、美しく、こなしていこうとキャンプ場で泥酔してひっくり返った頭で誓った。頑張るしかないのだよ、才能のない人間が今を保ち続けるには。自分に言い聞かせた後に、なぜだか分からないが、赤の女王にヒールでグリグリと踏みつけられながら、有名な台詞(It takes all the running you can do, to keep in the same place)を言われるイメージが浮かんだ。妙にそこだけしっかり感覚的に覚えている。酔っ払いって怖い。本当に誰かに踏まれていなかったと信じたいところである。

 


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