17日 母親との時間

この日は移動が多い日だった。朝から母親連れてほとんどドライブ。車の中でも沢山喋った。

とにかくこの数日母親と過ごし、沢山話しをしている。お互いの隙間を埋めるように。母親からもなんだか話せて軽くなったありがとうと言われる。とても心が安らぐ。

先ずはスクールに行き必要なものを取りに行く。両国を越えるのと越えないのだと遠さの感じ方が違う。千葉から行くと江東区は30分くらいでドライブに丁度良い。
父親は良く慎太朗を迎えに来てくれていた。
気分転換にもなっていたのだろう。

父親は本当に車が好きだった。高校から自動車部に入り、勤務先の京成バスでは整備士の仕事をしていた。

その時の父親は楽しそうで子どもながらにカッコいいと思っていた。学校の作文にも将来の仕事は整備士になりたいと書いた覚えがある。お父さんの楽しそうな姿を見てそう思ったのを覚えている。

スクールから東京の自宅に寄り慎太朗をピックアップして、その足で3人で父親に会いに八幡の霊安室に。

また幼稚園の園長さんが来てくれたのか、子どもたちのメッセージが増えていた。
『いしいのおじさんがんばってね。』
『いしいのおじさん、かぜはやくなおしてね。』
見ていて涙が出てくる。

中には卒園した子どもからのメッセージもある。父親の子どもたちへの関わり方が目に浮かぶ。

本当に人を大事にする幼稚園。ありがたい職場に出逢った。人を大事にするお父さんだからこそ巡り合えた幼稚園。

3人でお父さんにひとしきりお話しして、また来るねと後にした。

喪服を作った。父親の葬儀の喪主として恥ずかしくないようにと新調した。

19、20日と葬儀。
奇しくも4月20日は父親の66歳の誕生日。
お坊さんと葬儀屋の予定を見ると、この日しか合わない。
こんな事ってあるのかと思う。
66歳の誕生日。どんな巡り合わせだろうか。

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