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19日 お通夜

この日は快晴。前日の大雨から打って変わって。
とても爽やかな日だ。父親らしい日だ。

夕方からなので母親とゆっくり式場に行く。

式の前に湯灌の儀というお清めの時間がある。お風呂に入ったり、着替えたり身支度をする時間。
丁寧に洗っていただき、気持ち良さそう。表情も爽やかになった。生前お風呂が好きだったから、本当に気持ち良さそう。
病の影響で黄疸が出て顔が黄色かったが、お化粧をしてくれた。
山が大好きだった時の日焼けした顔になった。

会場の横にはお父さんの思い出が沢山飾られている。

本当にモノを大事にする人だった。服も気に入ったら同じ服を何十年も着る。その服で覚えられる程だ。

慎太朗が前日につくっていた『じじありがとう』

とても想いがこもっている。父親も側でなんとも言えない表情で見てくれているようだ。とても嬉しいだろう。

通夜の前にお坊さんとお話しをする。

戒名は、清道院日明信士。

爽やかな今の季節を“清明”と言い、仏経典にも出てくるとの事。そして道は仏の道、日明は朗らかで明るい性格を指す。父親らしい戒名だ。

今までは戒名ってなんだろうって思っていたが、なんだか今ならわかる。
肉体を下ろし、見えない存在となった父親を指すものが戒名なんだ。
その名前を浮かべれば、存在が側にすぐいるような。

この世でその存在を顕し続けていたと感じる。
肉体をつけ、見えないものを顕し続けていた。
シンプルにするとそれしか無い。
人との和を重んじ続ける魂。決して争わず地のようにそこに存在し、雨風があった時も何事も無かったようにそこに存在する。
その存在に何かみんなが安心する。だからこんなにも人に慕われていたんだ。今になって気づく。

子どもながらに不思議だと思っていた。本当に楽しいのかな?とか、お友達いるのかな?とか家族の事考えているのかな?とか。

でも、浅はかな了見だった事に今さら気づく。

同じ仕事を42年勤めあげた。家族が苦労した事なんて無かった。

本当に思っていたんだ。本当に貫いていたんだ。

須田さんに言われた事がある。お父さんは本当の意味で漢らしい人だぞって。その時は分からなかったが、今になったら分かる。本当にその通りだ。本当にその通りの生き様だった。自分を貫き通した生き方だった。それによって護られていた。目に見えないカタチで安心をつくってくれていた。
自分を生きた人だった。

今は旅立ちの準備をしながら、側にいてくれている。

式は家族親戚のみでしめやかに行われる。

それでもご縁が深く父を思ってくれる親戚以外の方々が来てくれる。有り難くて言葉が出ない。。

式中ではまるで父が側にいるようだった。不思議な事を書いているかもしれないが、そう思えてしまう。

帰りはご飯を食べていこうと、思い出のレストランに行った。良く行った和食レストラン。

その時、父と母とご縁が深い社長に偶然バッタリ。
父の事を報告したら、その社長は一緒に泣いてくれた。
普段来ないが偶々来たらしい。父親が引き合わせてくれた。

明日は告別式。

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