潰瘍性大腸炎入院記録(2020年2月最終週)

感染しないために病院にとどまるor感染対策を行った上で無理くりライブに行くという2択を突きつけられた当時の私。
今ならライブに行かず入院生活を続けるという選択肢をとるのですが、当時の私は同じアーティストのファンの方からの「絶対に行けるよ!」という励ましの言葉に甘えまくってたこともあり 『ライブのチケットもある、リハも見たい、新幹線のチケットも、ホテルの予約もとったのだから行きたい!行かせてください!』と見境なく懇願していました。今現在テキスト化していると後悔しかなく、自分のことだけどイタいししんどいなコイツは。。。と思ってしまいます。
ですが、ところどころで色んな人に迷惑をかけていることを自覚しているようで、ライブ3日前であるのに素直に喜べてないのがわかります。
自分を擁護しているだけのようにも聞こえるかもですが。。。。(-_-;)

その色んな意味の後悔は6月からの2度目の入院で私を精神的に追い込んでいくのです。

■2月22日■(AM父、PM母)
5時半起き、屈伸スクワット入り運動。
昨日(※前回記事23日分)の母の言葉が重くのしかかり不安や心配で頭がいっぱいで憂鬱になる。主治医の先生に東京行きの件の再確認をしたかった。早くしたかった。
そのことであせっていた。
10時頃に父がきて、10時半頃に主治医の先生がきた。
父がいたので多少楽に再確認ができた。
体力の減少と新型コロナに対して最大の注意をはらう。
手洗いマスクは必ず。
ライブが中止になったら東京自体ナシ。
ということで一応の許可は取れた。(※主治医の先生はライブという最終目標自体がなくなると余計に精神を病み、潰瘍性大腸炎にも悪影響がでるから・・・とも言っていたのを思い出した。)
それでもまだ不安である。
その不安からか今日は37.3度と熱が少し高め、今も右脇腹がチクチクする。
いつもより少しだるい。
母には昨日の今日だからどんな顔をすればいいのかわからないので憂鬱。
ストレスは潰瘍性大腸炎を悪化させるのであんまりストレスかけたくないのだが…。(※と当時の状況を全く理解できていない人間が申しております)
16時半頃母がきた。父が主治医許可の件をはなしたようで吹っ切れていた。
私は私で28日午前にファン同士で行うカラオケ店でのDVD上映会に行く予定を入れたので、そのことを母に伝えた。
母は「ならこっちのお土産持っていかんなんね」と言って、結局地元で有名な栗蒸し羊羹を持っていく流れになった。
少しうれしくなった。上映会入院中の外出であり体は万全ではないことを話す。28日はランチで食事に気を使えそうにないので弁当を持っていくことになりそう。
ライブまで27日外出までに予定を確定せねば。
たのしみと注意警戒が両方で大変。
うがいは6回すすぎ、ホテル部屋に入ったらまず手洗いうがい。

■2月23日■(AM父、PM母)
5時起き、屈伸スクワット入り運動。
点滴の針を指す場所をめぐって看護師さんにわめきちらした。
それを見てた父に「自分じゃやりようがないんだから・・・」と言われて、看護師さんが指しやすいところに刺した。
右手のよく曲げるところ…点滴つながってない時でも違和感。
点滴の針で30分以上かかってイライラしたし、思い通りの場所にならなくてイライラしたし、わめきちらしたことで落ち込むし大変だった。
さらに点滴の落ちも遅くてイライラ。今日は私の気持ちがうまいこといってない。
午後1時半に外出外泊届を書く。外出届をもらった時にまたいろいろあったんだけどツイッターに書いたし、ここに書くのも長くなるしやめとこう。
届けに『行き先:東京』と書いた時、「これはむずかしいのでは…」と思ってしまった。主治医の先生からの口頭でのOK(一応)はもらっているハズなのに。
東京に行けないという頭でいなければ楽になれない。
でも29日の予定は立てなくてはいけなくて(一応ね)
「劇場版架空OL日記を新宿で観れば移動は楽になる。リスクも減らせる?体力温存は可能」と考えたり。
でも行けないと考えよう、保険しよう。
チコちゃんとブラタモリをリアタイしよう。

■2月24日■(AM父、PM母)
5時起き、屈伸スクワット入り運動。
今日のステロイド剤点滴ですべての点滴は終了。
父から東京行きをやめるよう説得される。
行けないこと最大でいることを決める。
自分の行きたいというワガママで様々な人達が右往左往していることを考えるとツラくてしょうがなくなった。
ネットも今日は不安定っでつながらず、思うようにツイッターで吐き出せず……いやネットもライブの件も自分の思う通りにいかないから爆発したんだ。
ラウンジにあるFree Wi-Fiの案内(※喫茶店の机にあるメニュー立てかけるプラバンみたいなやつ)を投げつけ号泣。
薬(※以前精神病院でもらってた頓服薬)を看護師さんにもらって飲んでから病室に戻る。
病室に戻っても状態はおさまらず大号泣で大暴れして、看護師さんに取り押さえられ、落ち着くまで今日のこと許可待ちがツライことを泣きながら話した。
落ち着いた頃に、病院から呼び出されていた母が来るも気持ちを抑えられず(看護師さんは病室にいなかった)、「退院させてください」と土下座。母は怒りながら(※多分母が帰る)用意をしはじめた。父に「今から帰る」とTELすると、「ダメって言われたら退院すればいい」「白血球除去までやれ」との言葉。
私は父のそういうところ(※私が大暴れしないようにある程度逃げ道を行ってくれる)に甘えている。心配ばかりかけている。
私一人でなにかあったら何もできない。
すこしおちついたところでシャワーに入る。
シャワーでゆっくり体を洗うと少しだけ楽になった。考えないから。
5時半に母は帰っていった。
夕食の時しばらくぼーっと半分落ち込んだ状態。
明日の決定で自分をおさえきれるだろうか。

■2月25日■(AM父、PM母)
50時40分起き、屈伸スクワット入り運動。
白血球除去療法最後。
外泊外出がインフルエンザとコロナでアウトで、自分の件がどうなるかの結論が出るのが遅くて大腸がチクチク。
午後になって不安がましていった気がする。
とんぷく薬をのんでもドキドキがとまらず、不安ばかりになる。
ネットの接続が昨日と同じくらい不安定で、You Tubeで好きなアーティストの動画見てる最中にFree Wi-Fi側から接続が切れる。
うしろの人は動画を余裕で見れているのに私だけどうしてだ。
不安の上に心の整理がついてない状態でイライラするとヤバイ。
家では出来るのに(※家では接続切れとかおこさないのに)と思い込みあせりだし爆発前。
病室に戻り身じたく(※バッグに病室の自分のもの全部入れた)。持てるものを持って病室を出る。
看護師さんにおさえられながらエレベーターホールで大号泣。
フラフラで病室に戻り大号泣。昨日の二の舞。
看護師長さんから外出外泊退院、コロナについて今の私の体がたえきれるかというと重症になるのではないかということを聞かされる。
結果早期退院、うがい手洗いマスク、気持ち人混みを避ける。徹底する。休めるところ見つけしだい休む。
うれしいのかつらいのかわからなくなりました。
目の前の楽しみを楽しもうと思います。
(※看護師長さんの決断は今現在のご時世からみたら考えられないことです。ある意味でコロナ禍前の状況だったからギリギリ許されたことだと思います。そして当時のわたしもこの決断を素直に喜べていませんでした。)

■2月26日■(AM父、PM母)
4時から目がさめていた。屈伸スクワット入り運動。
今日は朝から熱っぽく体温は37.0度前半を推移していた。
昨日安心した分が来たのか、少し不安になる(※不安になるのは毎日なのだが…)。
父がきてるときに精神科の最後の診察。
かしこまって診察を受けてるとよくないと父に言われる。
「他の人と会話するときはワシ(※父の一人称はワシ)と話している時みたいに話せや・・・」と。
たしかに父と会話してるときのテンションは嫌いじゃないしいい状態だ。
がんばろう。
昼くらいに安倍首相(※当時)のイベント自粛要請のニュースが流れて、EXILE・米津玄師・Perfumeなどのライブ中止のニュースが流れていて
「今度行くライブは大丈夫か?」と怖くなってくる。
そのアーティスト関連で延期が決まったのはラジオ番組発のライブで、私が行く方のライブは払い戻し可の開催で決定。
一安心だけどなんかさみしいな。
自粛自粛というとさみしいよ。せっかく楽しい気持ちがあるのにさ。
あと私の実質無理くり退院について、周りの患者さんが軒並みご老人ばかりで、そりゃ東京行って病院戻ってきたらやべえよな!!って思った。
夕方母がきました。やっぱり心配してました。
それ以外はいつも通りかな。「微熱気味だから会場に入れないかもしれないことも考えや」と言われました。
コロナじゃないのにコロナ認定されそうです。

その翌日27日に退院しました。
自宅では念の為自室で就寝せずに玄関すぐの仏間で半分隔離されました。

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