とりあえず書き始めているのでした。
文章をとりあえず書き始めて、いくつか書いてきましたが、まだまだなんだか、こう方向性が決まらないというか。決めなくてもいいかみたいな。今日も、ちょっとだけ書きます。
猫は考えているようであまり考えてない
うちには2匹の猫がいまして、お姉さん猫の小梅と出会ったのはもう10年前のこと。大森の駅前の植え込みにいたかわいこちゃんを、ちゃんと口説いて連れ帰ったのでした。
おはぎは、おととしのお正月にやってきた弟。もちろん血はつながってませんが、もちろん、小梅とつながってませんけど。猫と人間とは絶対に血はつながっていませんよね。奄美大島からやってきた保護猫君で、暫定3歳ということにしておいたので、4歳ということになります。
で、まぁ上の写真の通り、猫だって何かを考えているような気がします。が、でもやっぱりあんまり考えてないようです。一瞬考えても、すぐ忘れちゃうのかな。
人間は妙に考えて覚えてる猫である
という訳で、考えるのは人間の得意技ですが、考えすぎるのはカルマであり業(ごう)じゃないかな。そして、自分は人間ですから、いろいろなことに囚われているわけで、そうでもなければ何かを書こうなんて思わないと思うわけです。
自分が一番考えてたのは18歳のころ。大学生になって時間がたっぷりあって、これからの人生をぼんやりと考えてればよかったはずですが、「人とはなんだ」みたいなことを無駄に考え始めてしまったのでした。思えば、まだ大した人生経験も積んでないどころか、他人様の人生経験だってまだそれほど知らないといったお年頃ですから、無駄に妙に考えるわけです。
ところが、無駄に考えていたはずなのに、その頃に観念的な、あまりにも実行が伴わない単なる思考の末にたどり着いたいくつかのテーゼがありまして、それは今でもなぜか有効に機能しているのでした。
人が陥る「思考の罠」、または「行動の罠」を回避するための方法。それがね、あれ以来生きてきた人生でものすごく役立ってきたんですね。中身は今度書こうと思います。すみません。。。
今日はもう寝ちゃおうかな。明日の朝は早い時間の新幹線に乗ります。
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