真っ二つの剣豪

 二十年ほど前の事である。鉄川と西標の間の山道で浪人くずれの追い剥ぎが出没していた。その追い剥ぎに赤子を人質に取られた若夫婦が助けを求めた通りすがりの武芸者が、若き日の剣豪・本田二僧伝であった。二僧伝は夫婦の頼みに頷くと刀を抜いた。そして一刀のもとに夫婦の首を切り落とした。二人の首はほぼ同時に、安堵の表情を浮かべたまま地に落ちた。

「なんで?」

 恐怖も嫌悪も、驚愕すら混じっていない……それだけの反応を許さぬ唐突さだったため……ただただ純粋な疑問から発せられた追い剥ぎのその言葉に、二僧伝はこう答えた。

「お前はかなり強い。お前を斬る時にはその赤子ごと斬らねばなるまい」

「しかし目の前で自分の赤子が斬られるのを見るのはとてもつらいだろう」

「だから先に斬った。これなら赤子が斬られるところを目にせずに済む」

 そう丁寧に説明してから、本田二僧伝は刀についた夫婦二人の血を払い、改めて追い剥ぎに向けて構えた。


 という話は結構広く知られている。本田二僧伝の強さと異常性が一度によく分かる逸話だからだろう。しかるに、その後追い剥ぎがどうなったのかは知られていない。答えを聞いた追い剥ぎは即座に逃げた。とても怖かったからである。恐怖で死にそうになりながら、逃げて逃げて逃げた。土地勘があったことが幸いして逃げ切ってへたり込み、そうして赤子を抱いたままだったことに気づいた。それを振り捨てる一瞬の動作さえ、恐ろしくてできなかったのである。


 という話を私は床に横たわる父から聞いた。なるほどではその時に一瞬の余裕があれば今頃私は生きていなかったんだなあと納得した。だから一礼し、それから今まで育てていただきありがとうございました、と伝えた。頭を上げると父はもう息をしていなかった。


 という話を私は今目の前にいる、ひじの骨がちょっと見えたくらいで泣いている情けない男から聞いた。私の知らない父の話だった。

【続く】


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