非箱
選択的妊娠継続者、通称「非猫」の増加は当局を悩ませる問題であった。医学の発展に加え、軽減重力居住空間の普及、何よりも事前概算可能可能性の高さがそれを有する当人の生活水準に大きく影響するようになった時点でこうなることは目に見えていたという意見もある。リ・リプロダクティブ・ライツの観点からこれを容認する立場と、胎児の権利を主張してこれに反対する立場に分かれ、法規制は難航した。これもまた想定されていた事態だった。しかし誰にとっても予想外だったのは、おおよそ八年以上継続して妊娠を続けた時点で、外部からは胎児が死亡しているかどうかが一切観測不可能になってしまうということだった。エコー、触診、直接的な聴診による心音の確認、レントゲン撮影、生命ダウジング、「祖母」への質問、一切が子宮の内部にまで効果を及ぼさないようになった。その原因は未だにはっきりとは解明されていない。何にせよ、結果として母胎の有する事前概算可能可能性自体は頭打ちになるにも関わらず、それが失われる際の損失だけは増加し続けるという状況が発生した。こうした胎児を中絶した場合、あるいは妊娠したままの妊婦が何らかの原因で死亡した場合の天使の嘆き値は場合によっては1000ppを超え、それは都市機能を部分的に麻痺させることすらあった。そしてまだ先の話とはいえ、母体の老衰死は避けられない終着点だった。この問題を解決するため、超長期妊娠継続胎児、通称「非箱」の有している可能性を緩やかに消費させる方法が創案された。
そうした一連の経緯は知っていたが、その実物を見るのは初めてだった。大脳の大部分が欠損していることがはっきりと分かるその女性の肉体は、赤い口紅を塗った唇を動かして、初めまして、と挨拶してきた。それが膨らんだ腹の中にいる妊娠1368週児、私の相棒が発した初めての言葉だった。
【続く】
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