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男らしさや女らしさの呪縛をといて

アンコンシャス・バイアスという言葉があります。
性別による無意識の思い込みというものです。

・男は家計を支えるために稼がなければならない
・女性はか弱いので、男性が守らなければならない
・食事代は男が出すべきだ(それがかっこいい)

古くからある「伝統的」な価値観に基づく、男性観や女性観というものに縛られているということが指摘されますが、これはそんなに簡単な話ではないだろうと思います。

歴史的には、人の歴史は長く、その分男女の歴史も長いわけです。
全体観から見れば、今が超急激に変化している時代、と考えるのが妥当かもしれません。

その価値観の変遷と共に、産業革命が起こり、産業の構造転換も起きて、一気に従来的「男らしさ」の価値が低下してしまいました。
腕力や労働力みたいなものでどうにかなる時代ではもうないということです。

人がもとになって担保していた労働力は機械が担うようにもなり、男性でなくてはいけないということもなくなり、徐々に女性の働く機会が増えてきて、働く場はありつつも、より男女平等に向かって動いているのが今です。

ただなんとなく社会に出たのでは、付加価値を生み出せず、稼げない。
ましてや日本は経済成長が30年間ありません。
なので、価値観がアップデートされてきたけど、経済的には全く追いつかないわけです。

男性側の意識で言えば、稼がなきゃならない、と潜在的に思っている男性に対して、稼げないという実態があり、稼いできてほしいという潜在的な圧力も感じている。

女性側で言えば、少なからず働く機会は増えてきて、昔に比べて、子を生むことの「メリット」が薄くなりました。それならばと社会に出ると、年収的には男性との間で壁はあるものの、男性と一言で行ってもだいぶ階層があって、下の方なら勝ててしまうということもあるでしょう。

なので、どの層で見るかによるけれど、もし仮に今まですべての男性が居心地が良く、全ての女性の居心地が悪かったのだとしたら、一部の男性の居心地は悪くなり、一部の女性の居心地は良くなっていて、居心地の良い総量は変わらないんじゃないかとも思います。

僕自身は、ここでいう男らしさについては、思い切り地で行くタイプです。
昔から、女性との食事でお金を払ってもらうことはないですし、稼がにゃと思って仕事に行っています。
古臭いと言われてしまうんだろうなと思うけれど、そんな人間です。

でもそれで軋轢を生んだことはないです。
なじられたこともない。

それは、僕が教育機会に恵まれ、職場や仲間に恵まれてきたからこそだし、何よりパートナーが僕のことをそれで肯定してくれていることに感謝です。

男らしさや女らしさではなく、その人そのものをもっと見て、自分らしくいられる場、人を探すことが人生において大事なんじゃないかと思う今日このごろです。

また、日本は無宗教です。
その分、判断軸が個人に委ねられていて、非常に曖昧です。
想像してみてほしいですが、思想がない中で、自分色を出すというのはとてもむずかしいことです。
仮にキリスト教の方であれば、キリスト教的にはどうか?という視点で新しいものごとも見ることができます。
その軸がないのです。これは口でいうほど簡単なことじゃないです。
人は社会的ないきものだから。

そのため、みんながなんとなく「置きにいく」ことになりがちです。
子どもだって同じで、子供だから突拍子もないことを言うのかというとそんなことはなくて、大いに保守的です。

無宗教の核家族社会で、価値観の軸は誰が教えていくのかといえば、
それは当然「」になり、親兄弟の影響を最も受けます。
だから、ある意味では才能や能力に関係なく、年収や子どもがつく仕事などは遺伝しやすいのだろうと思います。
(本当の意味で才能を存分に発揮しながら活躍するというのは稀有なことだと思います)

僕自身は一つの例でしかないことを伝えながら、僕の背中を見せ、
将来彼らが愛情のある家族なりネットワークを作っていけるように、子どもたちには優しさを与え続けたいと思います。


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