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「がんばろう 日本!国民協議会」第20回埼玉読者会(R3.10月)

これは、「がんばろう 日本!国民協議会(http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/)の機関紙、「日本再生」の読者が毎月行っている読者会のうち、埼玉の会の報告です。

今回のテーマ
① 「政治をあきらめてきた」人々のなかに生じている〝気持ちの変化〟を、
どうつかんでいるのか。
➁ 越谷・春日部の公開討論会で見えて来た課題とは何か

【SUMMARY】
選挙を自分事にするとはどういうことでしょうか。政治家や候補者でなければ、為政の当事者にはなりませんが、投票することで政治にかかわることはできます。私たちは今、自分の生活と政治は切り離せないものであるという自覚をもつことと、政治に共事者意識をもつためにどうしたらよいかを考えることが求められています。


「おなじみの光景」への違和感

私たちが選挙を意識するのは、街頭に立つ候補者やところどころに貼られているポスターを見たときです。もう、そんな時期かと思う反面、選挙カーから流れる大音量の名前の連呼を想像してウンザリしてしまうのではないでしょうか、手にするチラシも、代わり映えのしないものばかり。各候補者の「伝えたいこと」の違いがわからず、目を通すこともあまりありません。「名前をどれだけ目に(耳に)したか」で投票者を決めるおなじみの光景は、私たちにとっては興味のないイベントになっているのです。しかし名前を連呼する理由は公職選挙法にあります。選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができず、車を停めて演説をするか、走る車の中から連呼行為をするかしか許されていません。また、こうした名前の連呼が一定の集票効果を促すという研究結果(2017.三浦麻子 地方選挙における有権者の政治行動に関連する近接性の効果)もあるため、私たちがどんなに迷惑だと思っても、候補者がこの行為をやめることはないのです。市民の想いが候補者には届かず、候補者の訴えも市民に響かない。「誰のための選挙」なのか実感を持つことが出来ない中、見えたのは候補者陣営の中だけでの熱気と疎外感でした。

非当事者から共事者へ


一方コロナ禍で明らかになった様々な社会の課題は、私たちの身近なところでも可視化されはじめています。医療体制の脆弱性、商店や企業の倒産だけでなく、流通への影響、子育て現場の悲鳴など生活の中で実感せざるを得ない状況が続いています。その結果、「まだ自分は困難に陥っていないけれど、友人、知人の状況を見てなんとかしたい」という、まだ少し余裕がある状態の人たちに気持ちの変化が起こり始めました。これには、ついに見て見ないふりが出来なくなった(顔が分かる関係の人の困難は見捨てておけない)という気持ちがあるのでしょう。よく、当事者意識を持つという言葉が使われますが、当事者はやはり直接その事に関係する人でなければなることが出来ないため、同じ気持ちを持つことは不可能だと思います。意識を持ったと思っていても、「あなたは私じゃないから」と言われてしまえばそれで終わり。壁に当たり、当事者にならなければ問題に取り組むことが出来ないなら、状況の改善は難しいでしょう。しかし、「あなた」にはなれないけれど、「あなたの苦しみをあなたとは別の方法で考える」ことは可能です。興味関心がない他人事から、興味関心があるからこそ、一緒にいて思考を巡らせる、それが共事者です。何らかの関わりをもつことで感覚や場を共有することは、当事者でない(非当事者)とは似て非なるものになります。

政治を市民が共有化する場を選挙で作り出す


10月の投票前に行った越谷市、春日部市の市長選挙公開討論会。候補者が一堂に会した討論会の感想には、「広報誌やチラシの情報だけではなかなか投票の決め手になるのは難しいが、2時間半話を聞くと「この人に投票したいな」という意思がかたまるのを実感した」「市民の声を届ける」機会がなかなか難しいと思う。形骸化した「あて職」の委員参加や議員への陳情型でなく、市長も市民も“一参加者”として横並び参加者全員で答えを出していくような方法はないか考えていきたい。」という言葉がありました。投票しても何も変わらないと理由付けをすることで行動を起こさない人々を動かすためには、やはり「名前の連呼」ではなく、対話による場の共有が必要です。これは、先の衆議院選挙や立憲民主党の党首選で小川淳也氏が精力的に行っていた「対話型集会」への反応の大きさからもわかります。自分の意見を伝えたら候補者(当事者)が反応をしめすという今までにない出来事が、一気に選挙への認識を変えます。政治に対して当事者になることはできなくても、共事者として自分の生活実感を反映する政治をどうつくって行くのか、そのために「違和感に気がついた」「政治をあきらめていない」市民はどう動くべきなのか。新しい政治をつくるために、今までの選挙の光景を古いものにしていく覚悟が必要です。

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