この喜劇から一日も早く抜け出すために

映画『スターリンの葬送狂騒曲』はスターリンの死に伴うフルシチョフが後継の座を得るまでのソ連邦内での権力闘争を描いた喜劇だ。一見厳粛な国の裏で行われている非常に「人間的な」駆け引きだからこそお金を取れる作品になり得たが、考えるまでもなく、日本の政府も、大企業も、自分が所属している小さな組織でさえ、多かれ少なかれ日常で繰り広げられている光景である。
こんな喜劇役者みたいな毎日を送らずに済むためには組織から抜けて独り立ちを、なんて考えもよぎるが、50間近の無鉄砲な挑戦より一日でも早いリタイアのタイミングを考えたほうが現実的であろう。
2000万円問題が今も燻っているが、闇雲に恐れるより老後に必要な金額を割り出し、何歳のタイミングでこの馬鹿げた舞台から降板できるのかを常に心に留めておくのは今後生きてく上での大きな慰みになる。
恐らくそれは自身が月いくらの生活を望むのかという自問から始まるのではないか。80歳をゴール(以後年金だけの生活)に逆算して、月100万の生活をしたければ60歳の時点で2億4000万円、50万だったらその半分。
年金からの収入を加味すると、5歳年下の妻がいるわたしは、お互い65歳から年金を少なく見積もっても10万ずつもらえるとしたら、夫80, 妻75のとき年金収入は総額で3,000万。それを上記の費用から差し引くと60歳で2億1000万の貯蓄があれば月100万、9,000万なら月50万円の生活が20年間送れることなるし、40万円の暮らしで構わないならその貯蓄があれば55歳で引退できる。
人によっては月300が欲しいということもあるし、30万で十分と考える人もいるだろう (ちなみに300万であれば60歳で6億9000万。30万なら4,200万)。
父と暮らして感じるのは80を過ぎると海外へのあこがれや豪華な食事、贅沢な身なりへの執着が急速に萎んでゆくようで、そういう理由でゴールを80に設定したわけだが、その時75になる妻がその後10年楽しめる分くらいは少しずつ節約したほうがよいとは思っている。
そして、老後の生活についても考えることは山ほどある。
まず、極力月に掛かる費用が読める「持たない」生活は実践するべきだ。例えばマイホームを持っていると唐突に大きな修繕費や、もしかしたら家から火を出して途方もない賠償金が必要になったりということだって考えられなくもないだろう。賃貸であれば大雨で床が水に浸ろうとも引っ越せば済むことだ。生活に合わせ、サイズも家賃も決めれば良い。持っている資産はすべて現金化し、借りられるものは借り、自分の手もとの財布からすべての出費を管理するのが理想といえる。
そして何より虎の子は決して手から離さない。子供に老後を託して、或いは海の見える素敵な施設に入居するための頭金として、備え用意をしていた資産を簡単に渡してしまう人がいるが、お金は手元から離れた瞬間にコントロールを失い、以後自身の人生が翻弄されることを覚悟しなければならない。愛すべき子供は自身の残り50年の生涯予算に、企業は目先の運転資金に、自身の20年のために貯めたお金を組み替えるというのが第三者から見た至極真っ当な在り方であろう。まず自分の思い込みを疑うことが、安定した老後の第一歩かもしれない。
昨年の今時期に癌を告げられ、放置しているわけだが、今のところあと30年先の生活を考えられています。

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