警察官による不適切な拘束によって亡くなったジョージフロイド氏の事件を契機に瞬く間に世界へと広がった抗議運動ももはや歴史の1ページとなりつつある。
不当な現状に直面している黒人以外で首を突っ込んだ、或いはムーブメントに乗っかった人たちのすべては、運動の急速な形骸化に加勢したことなど省みることなく、何事もなかったかのようにこれまでと変わらない日常を送っている。
いつものことだが、本当に空疎な運動だった。
ネットの発展と逆比例して下がる参加へのハードルが、年々この類の運動をイベント化させ、問題の本質が取り残されたままブームとして消費される。
言うまでもなく、差別や偏見は人の心の問題である。経験、知識、想像力の欠落部分に自家培養し、発露する自己逃避の異形であり、それ故人間世界にはあらゆる種類の差別や偏見に溢れている。目線を変えれば自身が加害者にも被害者にもなり得るし、今回で言えば差別を訴える黒人そのものにも他人への偏見や差別感情からは無縁とは決して言えないだろう。
自らを棚に上げ、正邪曲直で仮想敵相手に刀を振り回してみても、切られた相手にその実感がなければ、あとは表面が取り繕われ臭いものに蓋がされるだけである。
人々が差別や偏見と向き合う機会に、祭りに踊る「お調子者」の一人として無為に加わることの罪深さを立ち止まって考える必要がある。

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