前のマンションの階上の住人は統合失調症の女性であった。
夜が深まると毎日のようにタンスを何度も何度も引き倒しているかのような振動と爆音が響き、その時は上に誰が暮らしているのか知り得なかったため、わたしが昔そうだったように、子供が相当本格的なプロレスごっこでもしているのだろうと想像していた。東南アジアで互い許容しあいながらの生活が長かった夫婦なので、管理会社に文句をつけることまでは考えなかったが、一軒家だったわたしとは違い、マンションでそれを許容する親もどうかな、と静かな怒りは覚えていた。
上の人が一般的な日常を送っていないことに気付かされたのは住んで2年ほど経過した頃で、夜10時頃、鍵が掛かっている我々の部屋を開けようと鍵穴に鍵を入れ、当然廻らないにも関わらずドアノブを何度も引いてきたことが切っ掛けである。ドアの内側から部屋違いをいくら大声で伝えても、一向にやめる気配がなく、我々は豊田商事の事件を想起し、心底震えた。
やっとドアの前を立つ去ったが、このまま怯えた状態でここでの暮らしを継続していくことはできないという思いから、ドアスコープから相手は女性だと分かっていたこともあり、意を決してドアを開け、去っていく後ろ姿に声を掛けた。齢は50代くらいで、顔は虚ろ、「逃げている」「暴力を振るわれている」という内容の話を支離滅裂にわたしに伝えようとしていたが、結局分かったのはエレベーターで降りる階をワンフロア間違えたこと。階上でこれまで振動と爆音を出していたのがこの人であるということだった。
以後、上階からの音や揺れに対する怒りは失せたものの、一方でその大きさに比例して女性の胸の内が伝わってくるようで、夫婦で切ない気持ちになって過ごした。
女性は我々より先に越してしまったが、受け入れてもらえる場所はあったのか、或いは本当に暴力を振るう誰かに追われていて、見つかり引き戻されてしまったのではないかとしばらく気を揉んだことを覚えている。
いまのマンションに越したとき、真っ先におこなったのは、階下と両隣りへの挨拶だった。訪ねられた側も有難迷惑な、時代に取り残されつつある慣習であることは認識をしつつ、誰が、どんな家族構成で暮らしているかを相手に知らしめることで、顔の見えない不信感から増幅する負の感情を少しでも抑制できるものだと信じ、次に引っ越すときも同じようにしようと夫婦で話している。


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