いとこのアッコちゃん

YouTube のショート動画にガーシーものが上がるとつい見てしまうのだが、暴露話の根幹としては六本木界隈には有名人と共に過ごすということに至上の価値を置いている(きっとそれなりの外見の整った)女性がいて、それはヒルズの障害者用トイレでヤラれようが、どんなに粗雑に扱われようが、声がかかればホイホイと顔を出しに行くという現実が存在していることなのだと思っている。私の時代で言えば、尾崎豊やB'zの奥さんがその類の人という噂があり、そんな成り上がりのチャンスを狙って日々の屈辱に耐えているのだとしたら、その根性は相当鍛え上げられているだろうし、もはや後戻りの出来ない精神状態まで自身を追い詰めてしまうケースも出てくるのではないだろうか。
私には美しいアメリカ人とのハーフのいとこがいる。母の妹が在日米軍で働いていたアメリカ人と結婚をして、産んだ長女だ。非常に偏見に満ちた考え方だが、たまたま赴任した国の、アジア女性に捕まって、ずるずると生涯を共にするような白人男性に(とても優しい叔父さんであることに何ら疑いはないものの)社会的成功を望めるべくもなく、訊けばいつも違う職に就き、浦和にある私の祖父母の家とハワイを数年ごとに行き来していた。そんな叔父に振り回される家族は疲弊してしまい、明るかった叔母もすっかり鬱に近い状態となり、頼りない父親と覇気のない母、弟2人を支えてきたのは紛れもなくその長女であった。
小学生時代は私のような浦和のガキに「ガイジン」としてイジメられることなどしょっちゅうだったし、自分のイジメが終わったら今度は泣いて帰ってくる弟たちのケアをしなければならない。私より3,4歳年齢は下のはずだが、小学生の高学年には誰に対する気配りを忘れない完全な大人の立ち居振る舞いをする女性になっていた。
小学校を卒業し、しばらくのハワイ生活から帰国子女を多く受け入れる四谷の大学に入るため、日本に戻ってきた。そこで、一人暮らしを選択すれば良かったものの、祖父の死後、ボケた祖母の世話を伯父が一人でしていたことから、そのサポートのため浦和の祖母の家から大学に通った。
ある時の話で、伯父もいとこも外出のため誰も世話する人がいないということで、私が数時間だけ留守番を頼まれ、祖母と二人で過ごした。当然の生理現象でボケても出すものは出す。腹筋の弱体によりキレの良いものは望めず、ちょろちょろとだらしのない軟便を出した肛門を付添い人がティッシュで拭くことになる。ところが、皮膚が弱っていて強く擦ると傷を付けてしまうため、軽く何度も何度も色が消えるまで繰り返さなければならず、これが精神的にキツいと、一回きりの経験を未だ私は蛍雪の功のように語っているが、彼女はそれを毎日行い、時には排便のタイミングが合わずに一緒に風呂に入って洗い流してあげているのだと聞いていた。
学生時代には美しさに磨きがかかり、寄ってくる男性が絶えないため最先端のブランド品(同じ種類のプレゼントを買わせて、他を質屋に卸すという話を実際に聞いたのはこれが最初で最後だ)で身を纏った彼女の、外見からは想像出来ないリアルな姿だった。
祖母が死に、大学を出た後、一流企業の秘書となった彼女は拠点を六本木に移した。自身の給与が良かったこともあるが、やはり英語がネイティブの彼女の父親にとっては六本木は言葉の不自由は少なく、ストレスなく過ごせる場所のようで、父親が日本に来たときを考えての孝行のつもりであったのかもしれない。
その後暫くは父や親戚から人づてに聞いた話になるが、せっかくの会社も辞め、以後は職場を転々とし(それでも一流企業ばかりであったが)、一方プライベートではJリーガーやプロ野球選手などと派手な付き合いをしていた。結局、長く続いた日ハムの「まいど!」な彼とも結婚には至らず、もう7,8年前になろうか、彼女がある外資系エンタメ会社のそれなりの立場の人と一緒になることとなり、その披露宴に参加した。彼女の友人という私が顔がわかる程度の芸能人も数名おり、比較的華やかな会であったと思う。相手の男性は仕事柄夜の六本木界隈を主戦場としている風で、その上司だか、恩師だが、いずれにせよ派手目なおっさんがスピーチで話したエピソードが未だに心に引っかかっている。「彼から結婚をしたい人がいると言われて、誰だと訊いたら○○(いとこ)という。まさか、と反応してしまいました」という内容だった。「まさか」に続く言葉が、界隈で有名だった彼女も、もはや40に近い年齢となり、一発逆転の超優良物件は望めないにも関わらず、いまだその周縁をウロチョロしている、お前はそんなセカンドハンドにまんまと捕まえられたのか、という含みがあるように感じたのは勘繰り過ぎだったのだろうか。
私の敬愛するいとこが、ガーシーの話に出てくる、そんなお手軽な存在でなかったことだけを願っている。

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