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85歳の父が28歳で初めて迎えた日本でのオリンピックから57年経ち、鬼籍に入る同級生が多い中、2度目の東京大会の開幕式をテレビで観ているその姿に胸を打たれた。果たして50の僕が人生で2回、どんな分野においてだって150や200といった国や地域からの最先鋭が集うイベントを同時代に体験することができるのか。そんな一期一会を、もう一年半もダラダラと続いているこのから騒ぎの日常に埋もれさせるのは勿体ない。
誰が参加する、勝つ、負けるは寧ろ関心の外で、僕が感じたいのはこの大イベントを国が受け入れている現在形である。
開幕式が行われた昨日、夢の島、辰巳、有明、台場の各会場と晴海の選手村を見て回った。
東京中を常に歩き回っているので、以前から何度か今回のオリンピックを契機に新設された会場の前は訪れているのだが、国立競技場を含め、周囲に無機質なスチールの壁が立ち塞がり、中を覗くことができないその圧迫感や鬱積からやっと開放されるという期待も、30度を超える炎天下の中、妻を連れ行脚した原動力の一つであった。
しかし、壁はそのままだった。無観客で行うのであれば現実的な判断であろうし、もしかしたら世界規模の大会というのはそういった警戒の中でおこなわれるものかもしれないが、それにしても寸分の隙のなさには露悪的にすら感じた。ただでさえ更に一年、そのどんよりとした重苦しい景観を見せつけられてきた周辺住民にとってあの壁を前にオリンピックを応援する気には到底ならないだろう。

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