社民党常任幹事が来宮駅で起こした騒動は対応をさせられたJR職員の悔しさや怒りを考えると胸クソ悪さばかりが残ったが、そのテロ行為が世間に「障害者」について考える契機を与えたこともまた事実である。
人間の個性とは決して重なることのない無数の点描画みたいなもので、そこに「健常者」と「障害者」の線を引いたのは誰なのか。
社会インフラを造成するに当たり、「健常者」を作り上げ、その最大公約数の利便を基盤とすることが為政者にとって経済的、時間的にもっとも効率が良い方法である。
70年代、下半身不随の八代英太が参院選で初当選し、登院してくるに備え、議事堂の改修に当時の金額で3億掛かったというエピソードは、まさに歴代の為政者が置き去りにし、我々が見て見ぬ振りをしてきたものからのしっぺ返しにほかならない。
恐らく伝えたい本質は同じだったと思われるが、反発を招いた社民党の乱暴なやり方とは異なり、山本太郎の党はきちんと筋を通し、重度の「障害者」2人を表玄関から国会に送り込んだ。しかし、その直後から、彼の党そのものが失速してしまったのは、理想を掲げたは良いが、「異形」を取り込んだことに対する世間の想像以上の反発を受け止めるには時期尚早だったということであろう。
この問題に本気で取り組むのであれば、N国党のおっさんみたいに、ワンイシューで30年、50年をかけてやっと世の中を微かに動かすつもりくらいの腰の据え方が必要なのかもしれない。絶望的に道は長い。



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