JRは公的組織の民営化の成功例として語られることが多いが、JR間の格差や、生い立ちを忘れ私鉄のごとく振る舞う一部JRの暴走に対する制御機能の不在など、その影の色は日々濃さを増している。
最高権力者は自ら描いたプロットに誰の筆も入れさせぬよう、本来経るべき熟議も早回しで、在任中に道筋をつけたがるが、国の将来を左右しかねない決断が短兵急に下されて良いはずがない。その実現を政治家としての信念と思い込むのであれば、自己過信に過ぎない。
先日三田の共用会議所で用事があり三井倶楽部の前を歩いたら、正面の旧逓信省簡易保険局庁舎の超広大な建物が取り壊され、三菱地所と三井不動産による再開発工事の真っ最中であった。飯倉にあった旧逓信省貯金局庁は森ビルの巨大開発の一区画として解体され、その跡地には既に65階建てビルの下層部分が積み上がっている。
双方合わせて5ヘクタール、東京ドーム約一個分の敷地面積を港区の超一等地に日本郵政グループはほぼ使うことなく所有していたことになる。調べたら、彼らの土地の所有額は三井不動産に次いで、日本の上場企業で6番目に多く、1.5兆円あるのだという。
まず考えるのは、近代化・合理化により不要となる(なった)不動産を公正な目で整理し、国庫に戻してから民営化に取り掛かることはできなかったのか。出来なかったとしたなら、この民営会社はそもそも競合他社とは余りにも立っているステージが違いすぎないかということだ。
政権与党の中で、常に現実の判断に妥協をしてきた政治家に気まぐれな時代が味方に付き、その勢いで最高権力の座を握ってしまう。そして政治主導の名のもとに自身の懐でのみ温めてきた視野狭窄な「改革」が突然大手を振るって表街道を歩み、その限られた任期の中、一気呵成に推し進められてしまう。その後に残るのは修正困難な不条理な社会だ。
この最大公約的な世界において、与党政治家に求められるのは「改革」ではなく、1ミリでも高い視点から世の中を俯瞰し、淀みや滞りを見つければ最小限の波紋の中で対処する力であると僕は信じている。
岸田政権の発足から間もなく20日が経つ。何も答えは出ていないが、そこに立っているのが河野太郎でなくてよかったとだけは確信している。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?