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【挫折学】講義⑬「『コントロールできない』部分は、いつまで経っても、『コントロールできない』」

特に、組織におけるポジショニングや、スポーツであればレギュラー争いといったところは、最終的にはリーダーや監督といった方々が決めていくものなので、自分が望んだからといって必ずしも手に入るものではありません。

どうしても社会的な繋がりや全体バランスなどが関係してくるため、単純な実力だけでは判断されないこともありますし、自分の努力だけではどうにもならないこともあります。

そこを「コントロールできないもの」と割り切ることができればいいものの、当事者としてはそこまで割り切れないことも多いのではないでしょうか。憤りを感じる人も多いのではないでしょうか。

また、こうした挫折の難しいところは、相手の求めていることが完全には分からないことが多いということです。

「この試験で60点以上取ったら合格」といった分かりやすい基準があればまだしも、だいたい人事的な動きにおいては、不合格の場合、理由はオブラートに包まれがちです。

比較的分かりやすいスポーツの場合も、上手な選手や努力している選手から順番にレギュラーになったり、選考に入れたりするわけでは決してなく、かつてであれば、持ちタイムが悪いほうの選手がオリンピック代表に選ばれ、良いほうの選手が落ちてしまったということもありました。

こうなると、挫折を乗り越えようにも、その基準が分からず、途方に暮れることになりかねません。

もちろん、自分なりに考えて「次はこうしよう」と整理したり、上手くいっている他者を見ては、それを真似てみたりということはできるかもしれませんが、何となく釈然としない部分は残りそうです。

つまり、「コントロールできない」部分は、いつまで経っても、「コントロールできない」わけです。これが理解できていないと、いつまでも負のループを回り続けることになってしまうのです。

だからこそ、大切なのは、この後でご紹介する「自分が納得できるまでやったかどうか」だと私は思います。

(【挫折学】講義⑭につづく)

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