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【挫折学】講義⑭「『挫折』の捉え方は十人十色」

ここまで書いているように、挫折には大きく3パターンあります。

①コロナなどの環境やケガなどによりふいに機会を奪われるような、自分ではコントロールできなかった挫折
大会などで敗れたり、レギュラーに選ばれなかったような、最後まで努力はしたが、自分ではコントロールできなかった挫折
自分から途中で諦めてしまうような、自分でコントロールできた挫折

大きく分けると、①②のような外的要因からの挫折と、③のような内的要因からの挫折ということになるでしょうか。

外的要因であれば相手や環境など、自分にはコントロールできない要素も多分に含まれているため、挫折も受け入れやすいかもしれません。前の講義で書いたようにここを「コントロールできるもの」と捉えてしまうと、引きずってしまうかもしれませんが、どんなに自分が努力しても、それ以上に才能を持った相手もいれば、時の運、不運もあります。

一方で、自分から諦めてしまった場合は、達成感を持つまでやりきらなかったケースも少なくないと思われます。

いずれにしても、「目指していたものが思い通りにいかなかった」という記憶が、今後の人生において大きな影響を与えることは間違いありません。

加えて、パターンはさらに2つに分かれます。いずれの場合においても、自らがある程度「やりきった」と思える場合は、結果が出ない中でも一定の納得感や満足感が生まれ、次に進みやすいように思います。

  • 「自分なりのベストは出せた」

  • 「これ以上できないくらい努力してダメだったなら仕方ないか」

と幾分消化しやすいのではないでしょうか。
一方で、心からやりきったと思えない場合はどうでしょうか。

  • 「もう少し頑張れたかもしれない」

  • 「あのとき感情的に投げ出さずにやり続けていれば……」

  • 「コロナさえなければ……」

そんな未練や後悔を引きずっているとしたら、なかなか次に進めないのではないでしょうか。

このようにひと口に「挫折」と言っても、そのパターンは複数あり、さらにはその捉え方はまさに十人十色と言えそうです。

大きな夢を掴むには、一生懸命取り組まないといけないことはみんな分かっています。ただ、一生懸命やったからといってみんながうまくいくわけではありません。にもかかわらず、うまくいった人は、「一生懸命やれば夢は必ず叶う。自分だってそうだったのだから」と口々に言います。

でも、そう言われると、希望が持てる反面、叶わなかった側の人間としては、「一生懸命が足りなかったのではないか……」と自分を責めてしまうことにつながりかねません。

(【挫折学】講義⑮につづく)

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