見出し画像

【挫折学】講義⑮「大切なのは納得感」

ここまでいろいろと書いてきましたが、私が大切だと思うのは、その目標や夢、希望に対して、「自分が納得するまでやりきったかどうか」ということです。

例えば、何か目指していたものがあったとして、それに対して、うまくいかなかったときのために言い訳を残しておきたいという思いは、人間無意識のうちに抱いてしまいがちです。

これは前の講義でも書きました。しかし、そこに対して100%、または100%に近い形でやりきったと、力を出し切ったと思えば、たとえ望む結果が出なかったとしても、将来そのことを振り返ったときに、やるだけやったと思えるのではないでしょうか。

もちろん、「あれだけやってもできなかった……」という自己否定感は時として生まれるかもしれませんが、少なくとも、「自分自身、限界までやった」と思えるプロセスを踏むことで、自分の中で納得感を抱ける可能性が高まるように思います。

結果、挫折を力に変えられる可能性も上がるのではないかなと思います。


少しまた私の話をさせてください。30歳くらいの頃、私はかつて目標としていた編集者への道を再度模索していました。大学時の就職活動においては、残念ながらどこの出版社にも引っかからず、ただ、その頃は大した努力らしい努力もしていませんでした。

そんな中途半端な状態でしたので、せっかくならやるだけやってみようと、一年間限定で転職活動に励みました。そこに至るまでにも、ライターとして経験を重ねたり、書籍ではないものの編集経験も積んでいたので、新入社員の頃よりは、幾分マシな状態ではありました。

何十社もエントリーし、そのうち数社から面接のお誘いを受けました。そして、その中の一社がなんと社長面接にまで進んだのです。
私は腹を括りました。「上手くいっても、駄目だったとしても、これで終わりにしよう」と。実は、近々新しい家族が生まれる予定になっており、どこかでケジメをつける必要がありました。

だからこそ、その面接に向けた準備は、悔いのないよう取り組みました。資料はもとより、想定問答や、やる気の見せ方まで、妻にも手伝ってもらって、何度も何度も練習を繰り返しました。

そうして迎えた社長面接を、なんと私はクリアしたのです! ついに夢だった編集者になれる、と思った矢先、どういうわけか、社長面接の後に、まさかの副社長面接が組まれ、結果、そこで落選となってしまいました。

その会社でどういう選定がなされていたのかは分かりません。しかし、結果は結果です。私は、編集者を諦めざるを得ませんでした。

悔しさはもちろんありました。でも、ここまでやって駄目なら、この仕事には縁がなかったんだと割り切ることもできました。踏ん切りがついたことで、「編集者はダメだったが、著者としてなら……」という新たな目標も生まれました。もし、転職活動に向けたチャレンジもせず、そのままの状態で生きていたら、きっと未練が残っていたかもしれません。

この「未練」というのが、実に厄介です。デジタル大辞泉によると、「未練」とは、「執心が残って思い切れないこと。あきらめきれないこと。また、そのさま」とあります。要するに、気持ちが残り続けている状態です。

たとえ挫折をしたとしても、このときの私のように未練が残らないくらいやりきれれば、捉え方も変わってくるでしょうが、未練が残ってしまっていると、やはり「あのときああしていれば……」とその挫折を受け入れにくくなるでしょう。
 
なのでここでお伝えしたいことは、まず、自身の目標や夢、希望を叶えられればベストですが、やはりそれを叶えられる人は多くないという現状があるということ。

ただし、だからといって手を抜いていいということではなくて、せっかく自分が一度は描いた夢や目標、希望であれば、まずはそのときの自分にとっての100%を出し切ってほしいということです。

それがきっとその先の人生にも何らか好影響として出てくるでしょうし、少なくとも過去を振り返ったときに、「結果は出なかった。けれども自分はやれるだけのことはやったんだ」という大きな納得感に繋がっていくのではないでしょうか。

(【挫折学】講義⑯につづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?